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[第66話]命名に込められた地域の思い ~村名が語る由緒~

 

 新潟県は開発にまつわる地名が多いことが特徴といわれています。しかしながら、その由来を記録から(さかのぼ)ることは大変難しいものがほとんどです。

 そのような中で、旧大潟町を流れる新堀川(しんぼりがわ)開削(かいさく)後に開発された(かた)(もり)新田は、村名が地域の住人によって名付けられた由来が残る珍しい事例といえます。そこには開発事情を背景とする、人々の強い思いがありました。


 新堀川は、17世紀に開発された大瀁(おおぶけ)郷北部(旧大潟町と旧頸城村の一部)の水害軽減のため、宝暦年間(1751~63)と天保年間(1830~43)の2度にわたる普請(工事)により開削されました。しかし、宝暦普請の直後の災害により一度川が埋まってしまい、天保期に再普請されるまでの約80年間、この地域の人々は再び水害に悩まされてきました。

 こうした背景から、新堀川を管理し守ることがこの地域の水田を守ることにもなることを知っていた人々は、川が埋まらないよう河口付近を監視する必要があると考えます。そして、その拠点の村(現在の集落)として、天保9年(1838)に潟守新田が成立しました。村名は村が担った役割に由来し、天保12年(1841)から「潟守新田」と公称されるようになりました。

 当館寄託の田村新田(旧大潟町潟田)笠原家文書の中に、天保12年に作成された潟守新田の検地に関連する書付があります。その中に村の名付けに関する記述が見られます。

 天保12年6月に新堀川の開削に携わった田村新田をはじめとする23か村の連名で高田藩奉行所に提出した書付(願書)に、「新村に守護を置き、村名を「潟守新田」としたい」とあります。また、別の書付にも「組合(田村新田など大潟の村々)としてお願いした」と書かれています。その後、10月付の書付(請書)に「村名を「潟守新田」とする旨が聞き届けられた」との記述があり、人々の願いが叶ったことが分かります。

 開発に携わった村々が一同となって書付を出したことから、彼らが強い思いを持って願ったことが伝わります。それは挫折と苦労を味わった開発事情と、新堀川の重要性を地域の住人たちが知っていたからこそ、だと思われます。市町村合併などで消えゆく地名もある中、「潟守新田」の地名は現在も残っています。



【乍恐以書附奉願上候(新村の村名を潟守新田と命名願)(部分)】(願書)【請求記号:F18-1865-2】


【以書附御届奉申上候(大潟悪水吐古川跡新田等潟守新田と命名の上私支配被仰付につき)】(請書)【請求記号:F18-1359-1】