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[第58話]『古図』は死なず ~好奇心を刺激する不思議な絵図のお話~

 

 新潟県内には、「往昔越後国之図」「越後国之古図」という表題がついた「越後古図」と通称される絵図が遺されています(注1)。絵図の記載によると、11世紀の越後を描いているということです。この絵図を見ると、現在の新潟県の姿とは全く異なることが一目瞭然です。特徴的な違いは、①越後平野が内海として描かれていること、②佐渡に向かって角田浜周辺から半島が描かれていること、③内海や沿岸部に小島が複数描かれていることです。約1000年前の越後の姿について、みなさんはどのように考えますか?

 現在遺っている「越後古図」は、11世紀に作成されたものではなく、18世紀後半から19世紀に作成されたものあるいはそれらを写したものです。実は、「越後古図」については真偽が問われ続けた歴史があります。一般的には肯定されていたようですが、江戸後期にすでに疑義が出され、創作とする見解が出ていました(注2)。昭和初期には学術雑誌『高志路』で論争がありました(注3)。戦後は、考古学上の成果をふまえて偽図とする評価が主流になっているようです。

 科学としての歴史学は精密な史料批判の上に展開されますが、作成年代が後世であって、いくつかの疑問が指摘される「越後古図」は歴史学の素材として適当ではないでしょう。であれば、後世作成の偽図、荒唐無稽の創作絵図として歴史研究の表舞台から消えても不思議ではありません(注4)。しかしながら、越後平野の形成過程や原風景を想起させる絵図として、現在も紹介する事例があります(注5)

 絵図や古文書を含む歴史資料は、歴史学の素材として遺されてきたわけではありません。「越後古図」を見ていると、『描かれた異彩を放つ越後の姿と、わき上がる多くの謎が、先人達を魅了してきたのかもしれない』との想いに駆られます。先人は、どのような思いで「越後古図」を遺したのでしょうか?さらに、「作成者は誰?」「作成した目的は?」「何を元にこの絵図を構想したのか?」「記載された地名は現在のどこ?」等、絵図への疑問は一転して好奇心を刺激する謎に変わっていきます。

 みなさんも「越後古図」を見て、歴史の謎解きに誘われてみませんか?



【E9312-1-26】

(注1)『平安越後古図集成』堀健彦編が詳しい。新潟県立歴史博物館では、県内に遺る「越後古図」をあつめた企画展が行われた。(平成26年2月~3月)

(注2) 『越後志稿』小泉蒼軒

(注3) 『高志路』4号村島靖雄氏の論考、6~9号金塚友之丞氏の論考、11~12号大木金平氏の論考

(注4) 『越佐おもしろ歴史ばなし』所収「2枚の古地図」

(注5)  信濃川治水の歴史や越後平野の歴史を記述する場合に、紹介される事例が多いようです。