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[第36話]“大仏さま”が新潟市にも安置されていた! 

 

 “大仏さま”と呼ばれている石に彫られた仏さまが、新潟市東区河渡こうどの大仏庵にひっそりと安置されています。大きさは坐像のお姿で約30センチメートルです。近くの通船川にはこれにより名付けられた大仏橋もあります。


 大仏さまといえば、東大寺の大仏さま(像高約16メートル)のお姿を思いうかべます。それと比べればここに安置されているのはあまりにも小さいお姿です。しかし、この地域では“大仏さま”または“大仏庵”と呼んでいるのです。


【大仏庵に安置されている大仏さま(新潟市東区河渡本町)】

 これを読み解く手掛かりになるのが、「仏堂明細帳」です。明治政府は神社寺院仏堂の実態把握のため社寺の明細書上げを各県に命じました。新潟県では県令永山盛輝がこれを受け、明治16年(1883)、寺院・仏堂・神社明細帳の提出を各町村に命じて作成させました。

 この「仏堂明細帳」には県内1,619の仏堂について、場所・堂の名称・仏像・由緒・建物面積・境内面積などが決められた書式により詳細に記されています。

 この中にある大仏庵の由緒には「創立年歴等不祥トいえどモ古老ノ口碑こうひニ依レハ本尊ほんぞん毘盧舎那佛びるしゃなぶつ往古伝教大師おうこでんぎょうだいし開眼供養かいげんくようト言伝ヘ(原文、以下省略)」と記されています。しかし、これは口碑であり、伝教大師が越後に来られたことはありません。けれども、この地域の遥かな遠い歴史のなかに、東大寺及び比叡山延暦寺との関わりがありました。(注1)

 鎌倉時代、現在の新潟市中央区沼垂ぬったり・河渡地域から旧豊栄市を含む周辺は豊田荘とよたのしょうと呼ばれ、東大寺の荘園でした。そしてここから官納物などを納めるために利用した日本海から琵琶湖へ通じる海上交通を、延暦寺と日吉ひえ神社の日吉神人ひえじにんといわれた人々がに担っていたのです。(注2)

 「大仏」という呼称や「伝教大師開眼」の口碑は、この地域と東大寺や延暦寺との縁を物語るものといえます。
 仏堂明細帳の中の由緒は、これらのことをかすかに伝えているのです。



【仏堂明細帳に記されている大仏庵の由緒(請求記号43-2 仏堂明細帳 大仏庵 293)】

(注1)
毘盧舎那佛は、奈良東大寺の本尊。伝教大師は平安時代初期、天台宗比叡山延暦寺を開いた最澄に贈られた諡名おくりな。日吉神人とは比叡山の日吉神社に属した神人で、鎌倉時代には日本海側の海上交通を掌握していた。


(注2)
 網野善彦「海上交通の担い手たち」(『網野善彦著作集 第十巻』所収 岩波書店2007年)に詳しく紹介している。これによると、北陸諸国に巨大な組織をもち、越後には三十余人の在国神人が、現在の直江津・新潟・旧中条町のそれぞれにあった津(湊)に本拠をもち、金融業や海上交通を担っていた、と述べている。
 伊藤正敏『寺社勢力の中世』(ちくま新書2008年)にも紹介されている。延暦寺の領地は北海道・沖縄を除くすべての都府県にあり、鎌倉幕府領より多かったこと、琵琶湖からの舟運や京都の金融は比叡山が掌握していたことが述べられている。
 延暦寺の領地は新潟県では、明確になっているものに佐渡の旧新穂村がある。ここの日吉神社の祭礼は、比叡山日吉神社の祭礼とそっくりであると言われている。