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[第79話]新潟県尋常師範学校生徒は果報の息子なり‐明治の修学旅行-

修学旅行といえば、見学・研修を目的とする旅行とはいえ、生徒にとっては学校生活において最も思い出に残るイベントのひとつです。

 明治21年(1888)、新潟県尋常師範学校(注1)が会津・日光・東京と18日間、徒歩と鉄道・汽船を利用した行程で修学旅行を実施しました。生徒は、小学校の教員になることを目指し入学した者たちです。彼らは、どのような旅行を経験したのか、生徒が書いた『修学旅行日誌』をもとに跡を追ってみましょう。

                                   【修学旅行日誌】(請求記号E1207-5-1)
  


 5月17日、見送りの先生方から「習練してきた気性と学力を実地に行い、新潟県人としての真価を発揮してきなさい。そして、研究したことをしっかりと習得してきなさい」との訓示を受けて出発します。

津川を通り、20日には会津に到着します。土地の人との触れ合いから「高尚(こうしょう)風姿(ふうし)(注2)があると感じ、その原因は旧会津藩の遺風(いふう)であろうと書き留めています。また、幕末会津藩の悲劇として語り継がれる白虎隊のことなどにふれ、「戦死者の墓碑を見たり(ここ)(おい)て転々当時を想ひやり」などと記しています。磐梯熱海(福島県)では、温泉を楽しんだようです。

日光を通って25日に東京に到着した一行は、(もり)有礼(ありのり)文部大臣のもとを訪問しました。大臣は、将来教師となる若者たちに「教師としての気質を鍛錬しなさい。学問はその次でよい。気質がしっかりしていなければ学問は何の役にも立たない」といった期待とともに励ましともいえる趣旨の言葉を贈ります。その後、31日まで東京に滞在し、高等商業学校(注3)や東京府尋常師範学校(注4)など様々な教育機関を見学し、新潟への帰路につきました。

見聞を広めて様々な刺激を受けた生徒たちは、群馬県を経由して6月3日、たくましく成長して無事に帰校しました。

旅行中は、新潟県民として恥ずかしくない行動をしてきたと振り返ります。また、他県の教育事情を観察した限り、どの県とも差異はなかったそうです。そして最後に、以前に第一地方部(注5)尋常師範学校長が「新潟県尋常師範学校生徒は果報の息子なり」と言っていたことを思い出し、自分たちが恵まれた環境の中で勉学に励めていると実感したことを述べて日誌を締めくくっています。この旅行は、立派な教師になるための決意を新たにさせるかけがえのない旅行になったのではないでしょうか。

日誌は、新潟県の近代教育発展の中で、志高く教師になることを目指した若者と、それを支え励ました多くの大人たちがいたことを教えてくれます。

(注1)現在の新潟大学教育学部の母体のひとつ。

(注2)高尚とは、学問・現行などの程度が高く、上品なこと。

(注3)現在の一橋大学。

(注4)現在の東京学芸大学教育学部の母体のひとつ。

(注5)関東1府6県(東京府、茨城県栃木県群馬県玉県千葉県神奈川県と甲信越
          3県(
山梨県長野県新潟県)及び静岡県をあわせた地域。