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第69話 明治13年、新潟の挑戦ー山際七司と尾崎行雄の熱き想いー

 

明治12(1879)104日、後に「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄が新潟に着任しました。尾崎は福沢諭吉の推薦で、『新潟新聞』の主筆として新潟にやってきました。最初の社説「愚見(ぐけん)ヲ書シテ読者ニ(しつ)ス」で、「日本の元気はどこにあるかと問えば、それは北方の新潟にある」と書いています。新潟に元気があるというより、新潟を元気にしたいという想い、尾崎は着任したものと思われます。この時、尾崎は22歳の青年でした。一方この年、最初の県代表を選んだ県議会が開かれます。54名の県会議員のなかに、現在の新潟市西区木場出身の山際七司(やまぎわしちじ)がいました。山際も新潟の元気を望んでい一人で、この時31歳の働き盛りでした。

時あたかも、国会を開こうという運動が全国的に広がっていました。山際は、さっそくこの運動に飛びつきます。国会をつくることにより新潟を元気にし、また日本を元気にできると考え、明治131月初旬に尾崎宛の手紙を書きました。「日本は開明の気運が進み、全国の有志者が国会開設に熱心に従事しています。これは、自然の流れで止めることはできません。だから私も県下の有志者の同盟を促すため、協議案をつくり印刷したいと思います。そこでお願いですが、この私の考えに意見を出して頂き、私の原稿の校正をお願いします。私のささやかな望みがかなえば幸いです」。

山際は、尾崎の援助のもと国会開設運動を推し進めます。明治13年に2度にわたって国会開設請願書を政府に提出しました。いっぽう尾崎も県民の知識向上をはかるため、社説執筆とともに新潟町を中心にした地域で演説を行います。翌14年国会開設を求める声は全国いたるところに広がり、同年10月政府もとうとう明治23年に国会を開くことに決定しました。しかし国の柱になる憲法はいまだつくられておらず、山際と尾崎の民の国づくりの挑戦はこれからも続きます。



【山際七司書簡 尾崎行雄宛 (明治13年1月)】(整理中)


【尾崎行雄書簡 山際七司宛 (明治13)45日】(整理中)