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[第55話]サイの神 ~生活の中から生まれた守り神~

 

 現在でも、新潟県の各地で小正月の年中行事としてサイの神祭りが行われています。防災・防疫(ぼうえき)・旅行安全・縁結び・安産などのご利益(りやく)があるとされるサイの神(道祖神(どうそじん))のお祭りで、別名道祖神祭り・左義長(さぎちょう)火祭りとも呼ばれ、小正月の盛大な火祭りとして知られています。無病(むびょう)息災(そくさい)五穀豊穣(ごこくほうじょう)・一年の繁栄(はんえい)を願う祭りとして有名です。
 サイの神は『古事記』・『日本書紀』にそのルーツが見られます。死者の国と現世の境界にあり、災いを(ふさ)ぎ止める神で、本来は火とは関係のない神でした。なぜ、サイの神祭りが火祭りとなったかについては、左義長というサイの神祭りの別称から推測することができます。「左義長」は本来、中世の貴族たちが毬を杖で打つ遊びに使った杖を小正月の15日に焼いていた宮廷行事でした。貴族の文化は近世に入ると武家や民間に広まっていきます。その過程で、勢いがあって、力強い印象を与える火祭りが、悪いものから村落を守るサイの神の祭りにふさわしいと人々は考えたのではないでしょうか。「左義長」という名称と火祭り、そして開催日が結びついて、サイの神祭りとして次第に定着していったと考えられます。県内では、祭りの火がもたらすご利益として、風邪をひかない・火事にならない・泥棒が入らない等が信じられています。防災の神であるサイの神らしいご利益だと思います。
 また、新潟県は全国でも珍しい、道祖神塔が造立されている県でもあります。村落の境界などに造立された道祖神塔は、サイの神祭りとは異なり、常にそこに在って一年中必要な時に気軽に祈願できる存在です。このことから、サイの神は、村落を守る防災の神だけに留まらず、縁結びや子宝といった、日常生活に関する願い事を一手に引き受ける神として人々に信仰され、根付いてきたと考えられます。県内に残る道祖神塔はそのことを物語っているのではないでしょうか。
 鈴木牧之(すずきぼくし)が著した『北越(ほくえつ)(せっ)()』には、牧之の生きていた時代(明和~天保年間:1764~1843)に小千谷で行われていたサイの神祭りの様子が書かれています。雪で作られた(だん)の上に、杉の木を立て、それを中心にしてワラやカヤを結びつけていたようです。その頂上にしめ縄などで作った飛鳥(ひちょう)(画像参照)を取り付け、町の(おさ)が一年の繁栄(はんえい)を願い拝礼(はいれい)した後に火をつけました。この火で焼いたお餅を食べると病気をしないと信じられていたようです。また、サイの神祭りは他国でも広く行われましたが、百年ほど前から江戸では火災の恐れがあることから禁止されているとも書かれています。サイの神祭りは火祭りという性質上、たびたび幕府から禁止令を出されていたようです。
 サイの神祭りは、近代に入ってからも抑圧されます。明治政府は近代化を()し進めるため、サイの神祭りをはじめとする多くの慣習・年中行事を旧習として禁止の対象としていきました。柏崎県でも明治6(1873)年1月に、正月行事として行われていたサイの神祭りを、文明の世にあるまじき習俗であるばかりでなく、火の用心の面からも危険であるとして禁止しています。
 しかし、為政者の抑圧によってサイの神や祭りが完全に消え去ることはありませんでした。現在では、地域(ちいき)振興(しんこう)策の一つとしてサイの神祭りを復活させている自治体も少なくありません。民衆が生んだ火祭りという形式の中で、サイの神は日常生活の中で生まれるさまざまな願い事を祈る身近な存在として今も受け継がれています。



『北越雪譜』二編 (請求記号:E0806-356)