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[第21話]「散髪令」と新潟県令~ちょんまげ狩りに執念を燃やした楠本正隆~

 

 明治5年(1872)、新潟県令として赴任した楠本正隆くすもとまさたか(1838~1902)は、明治4年に政府より出された「散髪・脱刀令」を広く県民に徹底しようとした事でも知られています。「散髪」以外にも「公序風俗を乱す旧習」と考えられた、公衆浴場での混浴、通りに洗濯物を干すこと、公共の場で裸になること、盆踊りなどを取り締まるため、市中にらそつ(巡視警官)を巡回させて、違反者から厳しく罰金を取り立てました。こうした政策の背景には、当時近代化のモデルとした欧米の公衆道徳観念を行きわたらせ、国際社会で先進国と肩を並べたい、という明治政府の思惑がありました。
 「散髪令」はまず県の役人を皮切りに、全ての県民に施行されましたが、他の旧習俗取締とともに、人々の大きな反発を呼びました。これに対し、ら卒によって違反者を屯所とんしょ(駐在所)に引き立てたり、その場でまげを切り落とすなど、更に厳しく取り締まったため、「楠本県令は、「ザンハツ(ざんきり頭)」にしようとしない庄屋を呼び出し、逃げ出せないよう舟に乗せて、自ら髷を刈り取った」という話も語られました。※『新潟市史近代編3』
 下記資料は、楠本正隆の次に新潟県令となった永山盛輝ながやまもりてる(1826~1902)に、明治9年(1876)中魚沼郡谷内村(現津南町)区長内山八郎から出された建白書です。内容を要約すると、「これまで散髪令の施行に努め、皆短髪にしてきましたが、全ての人に強制することは難しく、行き届いていない所もあります。そういった人々に対しては、自由にさせてはどうでしょうか?」これに対し、永山県令は「短髪は人の健康によく、便利であるから、(散髪しない人に)諭達すべきこと」と、簡潔な返答を返しています。
 楠本正隆の任期中に強く進められた「散髪令」ですが、永山県令の代になっても、まだ完全には行き届いていなかったようです。この資料からは急速な近代化に対する人々のとまどいという、明治初期の一側面がうかがえます。


 
【寄留伺・散髪建白】(請求記号E0209-22)