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不正義の平和

 
第38回(平成30年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
石橋絢子さん(新潟県立高田北城高等学校)

 八月六日、それは私たち日本人にとって、忘れてはならない日。人々の何気ない日常、笑顔、平穏な生活を奪う原子爆弾が世界で初めて「ヒロシマ」に投下された日である。メディアで報道される悲痛な声を聴くたびに、私の中に生まれる感情。「なぜ罪のない人間が争いの犠牲にならなくてはいけなかったのか。自分は平和な世の中を創造するために何をすべきだろうか。」この気持ちと向き合う好機に私は三度も恵まれたのである。
 一度目は、中学二年生の修学旅行で平和学習の一環として広島を訪れた時である。事前に、広島の歴史や戦時下の様子、原爆による被害などを調べ上げた。「わかったつもり」になっていた。しかし、実際にその地に立ってみると、得も言われぬ恐怖、そして深い悲しみが込み上げてきた。約七十年前に、壊滅的な打撃を受けた街が切々と語りかけてくるようであった。「原爆ドーム」の外壁は崩れ去り、ドーム部分の内面がむき出しになってもなお在り続けるその姿は、正しく「平和の象徴」であった。
 二度目は、平和記念式典への参列であった。中学三年になった私は、上越市内の中学生の代表二十四名の一員として、派遣されたのである。あの日一九四五年八月六日と同じ快晴。雲一つない空の下で式典が始まった。八時十五分、平和の鐘が鳴った。一分間の黙祷。目を閉じると、戦争の惨禍が脳裏をよぎった。一瞬の閃光ときのこ雲。命を奪われた人々。焼け焦げた市街地。降りしきる黒い雨。
 市長による「平和宣言」安倍首相の挨拶、いずれも「広島への思い」が込められていたが、最も印象に残ったのは小学生の「平和への誓い」であった。「広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。」何と揺るぎない言葉だろう。小さな子どもまでもが未来の平和に向き合い、後世に伝えていこうとしていることに深く感動した。
 そうして迎えた高校一年の夏。私は「黒い雨」という作品を手にとった。タイトルである「黒い雨」とは、原子爆弾が炸裂した際の泥やほこり、すすなどを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨のことである。「少しだけ浴びた汚れた雨の痕は水で流しても落ちなかった。」あの日から始まる、やりきれないが、それでいて力強く不条理に立ち向かう家族の物語。主人公の閑間重松は広島市内で被爆。同居の姪、矢須子は原爆症の疑いをもたれ、縁談を重ねつつも実りが遠い。彼女が直接の衝撃を受けていないことを証明するために重松は日記を綴りはじめる。そして清書も完成に近づいたある日、矢須子が原爆症を発症していることがわかる。清書が終わったとき、介抱もむなしく矢須子の病状は奇跡に頼るしかないほど悪化していた。
 大量破壊兵器の爆風や熱線に加え、後々障害を引き起こす放射線は残酷である。放射線を大量に浴びた病人を看護した人が先に死んでしまったり、矢須子のように後から発病したりする人もいる。生き残っても、常に発病の恐怖と世間の偏見に苦しめられる。この本で原爆の恐ろしさや戦争の無残さを初めて知ったわけではないけれども、感情を極力排除した淡々とした描写がかえってリアリティーを増幅し、原爆の本当の怖ろしさが伝わってきた。それと同時に、私はこの作品から、命の尊さや力強さを感じずにはいられなかった。
 「黒い雨」を読み終え、私は実際に踏んだヒロシマの地をはっきりと思い出した。原爆が投下され、七十五年は草木も生えぬといわれた廃墟を、中国地方随一の政令指定都市にまで復興させた強い信念とたゆまぬ努力。唯一無二の被爆国の民として、その実相や平和への思いを次代に繋げていくことが私たちの使命である。
 平和市長会議が核兵器廃絶の期限としている二〇二〇年まで、あと僅か。読み継がれてほしい一冊に出会えた夏、私は世界の恒久平和を実現するために、「いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和のほうがいい。」という一節を全世界に発信していきたいと思った。国内外の若者が、この本を通して過去を知り、今を見つめなおす。平和に対して一人ひとりが意見を持つだけではなく、なぜ、そのように思うのか自分自身でしっかりと考えることが大切である。そして、戦争や平和についての意見を自由に気軽に交換できる場があれば、胸の内を開いてお互いを理解し合うことは容易い。多様性を許容しながら調和し、世界が一つになった時、希望は叶うと確信している。
 

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