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[第49話]柏新の相撲で決着? ~新潟県誕生寓話~

 

 維新直後、現在の新潟県域での行政区画の変遷は、新政府の直轄地としての「府」「県」と大名領としての「藩」が入り乱れ、めまぐるしいものでした。明治4年(1871)7月の廃藩置県実施と11月の整理合併を経て、岩船と蒲原を管轄する新潟県、佐渡を管轄する相川県、古志・三島・刈羽・魚沼・頸城くびきを管轄する柏崎県の三県体制になりました。


 廃藩置県後、新潟県には県令が着任しましたが、柏崎県には県令の発令がなく、格下の参事が置かれたのみでした。明治4年(1871)の『全国府県列順』によると、新潟県は6位、柏崎県は48位です。県が成立した時点で新潟県と柏崎県の評価順には大きな差がありました。県令の発令の有無からもそのことを読みとることができます。実際の「県力」はどうかというと、戸数では柏崎県が新潟県を上回っていますが、財政収入は新潟県が柏崎県を上回っています。開港地新潟を抱える新潟県に比して、産業分野で有力な財政基盤を持たない柏崎県は財政的には厳しい状況でした。


 そのような事情もあってか、柏崎県は早い時期から新潟県との合併を考えて政府に要望していました。新潟県からも柏崎県との合併を建議する要望が出されます。明治6年(1873)5月27日に楠本県令が出した要望書には「両県之民情(はなは)()近ク、土地モ(また)接シ、一州一県之形顕然タリ」と両県の一体性を主張しています。果たして、明治6年6月10日に柏崎県の新潟県への合併が発令されました。


 こうして柏崎県が廃され、越後を統括する新潟県が誕生したのですが、実はこの合併について興味深い話が伝わっています。明治6年の合併は相撲により決まった、というのです。


 『新潟古老雑話』(昭和8年初版)によると、「明治5年12月16日に上京のため新潟を発した楠本一行10余人、柏崎での柏崎県の役人との酒宴の席で、楠本が合併を相撲で決めようと提案。楠本を行司に新潟方、柏崎方にわかれて相撲を行った結果、新潟方の圧勝だった。」というのです。


 このような話が生まれた背景を考えてみます。近代への転換の中で越後の地域比重が変化していきます。先述の戸数の差や財政基盤の差はその指標になるものです。相撲という力勝負による結果は、越後の重心が上越後から開港地を持つ下越後へ移るという歴史の流れを体現しているようにも思います。また、発案者であり行司を勤めたのは楠本正隆であったわけですが、「天下随一の県令」と大久保利通に言わしめ、新潟県の近代化に大きな足跡を残した楠本伝説をいろどる話として魅力的に思えます。


 この話を検証する史料が残されていませんし、そもそも明治5年12月16日は、暦上存在しない(明治5年12月3日を明治6年1月1日と改暦)ので、この話はあくまで寓話ぐうわと思いますが、新潟県誕生にまつわる歴史的ロマンを感じさせる話を是非読んでみてください。



『新潟古老雑話』【請求記号:E9111-62】