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[第43話]手習い手本になった訴状 ~幕府を巻き込む大騒動・信越国境論争~

 

 当館所蔵「信州飯山目安」は、魚沼郡寺石村の枝村えだむら羽倉はくら村(現津南町)と信濃国水内みのち郡森村(現長野県栄村)との境界争いに関する文書です。目安とは、訴状そじょうのことです。しかし、よく見ると、ノート型に綴られ番号がつけられていたり、文字が大きくはっきり書かれていたりと、一般的な訴状とは少し様子が違います。実はこの資料、実際に起きた騒動の訴状を元にした手習い(読み書き)のお手本なのです。


 騒動は寛文10年(1670)正月18日、森村の百姓伝兵衛が、羽倉村地内の山にあった名木「美女松」を切り倒したことに始まります。当初は庄屋間で交渉が行われましたが、森村は自領の松を伐採しただけであると主張し決着がつきません。そのため羽倉村は藩へ提訴し、争いはそれぞれを支配する越後高田藩と信濃飯山藩との係争に発展します。


 両村は以前から村境の丘陵地に利権をめぐり小競り合いをしていましたが、この事件をきっかけに対立は激化します。互いの主張を繰り返すうちに係争地は拡大し、周辺の村々も巻き込んで、作物の無断刈取りや乱闘騒ぎまで起こりました。

 結局、両藩間の折衝せっしょうでも解決のめどはたたず、幕府評定所ひょうじょうしょに裁定を請う事態となります。そして、評定所から派遣された検使の検分と取調べの結果、延宝2年(1674)、羽倉村の主張が全面的に認められ、伝兵衛は入牢じゅろう、境界には5か所の石塚を築くことを命じられました。


 「信州飯山目安」はその際、幕府に提出した訴状を元にしているようです。この中で羽倉村は事件のいきさつやその後のもめごとについて説明し、森村の不当を訴え、さらに両村の境界についても述べています。


 騒動は、羽倉村だけではなく周辺地域にとっても大事件だったのでしょう。訴状は手習本や読本として筆写され、この騒動と直接関係のない地域にまで伝え広まりました(注)。当館所蔵資料は、羽倉から遠く離れた魚沼郡横根村(現魚沼市)に遺されていたものです。写し間違いも見られますが、使い込んだあとがあり、当時の子どもたちに手本として利用されていたことがうかがえます。


 江戸時代、子どもたちにとって、手習い手本は、かな文字から証文・手紙の書き方まで、社会人として必要な知識を身につける教材でした。一方、おとなたちにとっては、地域の歴史を語り継ぐ手段であったのかもしれません。「信州飯山目安」は訴状の書き方だけでなく、地域の歴史を学ぶことのできる格好の教材だったのでしょう。


(注)題名は「信州飯山目安」に限らず、異なる題名がついているものもあるようです。


 
【信州飯山目安(請求記号E9304-1)】