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[第34話]旅に病む人を送る「村送り状」~安全安心だった江戸時代の庶民の旅

 

 江戸時代の旅は、水盃みずさかずきを交わして無事を願って見送ったといいます。それは旅の途中の病気やけがのないことを祈るものでした。では、実際の旅はどうだったのでしょうか。


 実際には、庶民の旅は、かなり安心してできるものであったようです。なぜなら、旅の途中で病気になっても、その行き倒れた村で看病を受け、さらに、本人が希望すれば、居住地の村まで送ってもらうことができたからです。


 幕府は、死者の所持品を盗み取ることを禁じるなど、治安維持の目的から、庶民の旅の安全策を講じていました。元禄2年(1689)、幕府は、行き倒れの旅人を救助する触書ふれがきを出します。その時は2日行程の範囲で居住地の村へ連絡するものでした。享保18年(1733)には、連絡の範囲を全国に広げることに改正しました。明和4年(1767)、それまでのものをまとめて、旅の病人の取扱いの基本となる触書を出しました。そして、その触書は、明治新政府に引継がれ、さらに、現代にもその精神が生きています。


 生き倒れ人を介護した記録や村から村への送り状は、断片的に各地に伝存しています。旧新津市下興野にいつししもごや桂家文書の中に、旧西蒲原郡巻村にしかんばらぐんまきむら住のある老女が、行き倒れた村から居住地まで送ってもらうときに関係した村々の村送り状がすべて伝存しています。これは非常にまれな事例です。もっともその老女は、残念ながら下興野村で死去してしまいます。死去後の事務処理の文書もすべて残っています。


 幕府や諸大名は、治安維持を目的に儒教精神に則して行き倒れの旅人の介護救助を推進します。しかし、実際に旅人を介護し、さらに村から村へと送る役目を担わされ、介護や救助、運送などの費用を負担しなければならなかった村々の気持ちは、幕府の思惑とは違っていたようです。そんなことも一連の史料群から読み取ることができます。


村送り状【請求記号F93-1824~1845】

・深堀村から阿賀野川を渡り横越村への送り状


・北上興野村から下興野村への送り状