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新潟県立文書館

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[第33話]お出迎えはつらいよ ~御巡幸の舞台裏~

 

 明治11年(1878)9月10日、明治天皇一行が初めて新潟にやってきました。8月末から始まったこの巡幸は、約2か月間をかけて北陸・東海道の1府11県を廻るというもので、各地方の実情視察とともに天皇の存在を民衆に浸透させることを目的としていました。新潟には18日間滞在し、ほぼ県内を縦断しています。随行の官員・警官・人足等を合わせると総勢3,000人に上る大移動、沿道には遠方からも見物人が集まるなど賑やかなものでしたが、実際のところ、出迎える側にはかなりの苦労があったようです。


 巡幸に当たり、政府は民衆の負担が増えることを避けるため、不要な準備を望みませんでした。しかし、その意に反し、巡幸先では県や警察の指導のもと、豪農や名望家が中心となって道路や行在所あんざいしょ(天皇の宿泊地)・小休所(休憩所)の整備、新改築を行いました。


 当館所蔵の三王渕さんのうふち村(現燕市)の文書からは、宿泊地となった弥彦村と周辺地域の様子の一端を知ることができます。この地域では行在所の新築費などを同じ行政区の村々で出し合うことになったため、各村はそれを村民に割り当てました。文書には県からの通達の写や、新築費出資の取決め、経費や役割分担などの記録が残されています。それらを見ると、資金の徴収が進まなかったり、8月末になっても準備が整っていなかったりと苦労の様子がうかがえます。事務処理は翌年1月にまで及びました。結局宿泊地になることは、住民にとって大きな負担であったといえるでしょう。


 巡幸後、各地に記念碑が建てられました。その多くは明治天皇の死後、大正時代になってからのものでした。石碑からだけでは窺い知ることのできない当時の様子を古文書は語っています。



【西蒲原郡三王渕村庄屋田野家文書】(請求記号E‐1012)


【弥彦行在所跡に建つ「明治天皇駐蹕ちゅうひつ之所」碑】
行在所は弥彦神社神職五十嵐盛厚邸の奥庭に建てられました。