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「自分で守れ、ばかものよ」

 
第33回(平成25年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
秋山祐衣さん(第一学院高等学校新潟キャンパス)

「ぱさぱさに乾いてゆく心を、ひとのせいにはするな、みずから水やりを怠っておいて/気難しくなってきたのを、友人のせいにはするな、しなやかさを失ったのはどちらなのか/苛立つのを、近親のせいにはするな、なにもかも下手だったのはわたくし/初心消えかかるのを、暮らしのせいにはするな、そもそもが、ひ弱な志にすぎなかった/駄目なことの一切を、時代のせいにはするな、わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」

第一学院高等学校新潟キャンパス

第一学院高等学校新潟キャンパス

これは詩人である茨木のり子さんが書かれた、「自分の感受性くらい」という詩です。読みながら、一言一言、心を打たれました。自分の恥辱、悔恨、空虚さなどを、時代や他人のせいだと弁解するな!…茨木さんの叱咤が聞こえてきます。私はハッとさせられました。ぱさぱさに乾いてゆく心、自分への配慮(水やり)が足りなかったんだ…誰かのせいではない。頑固さが増し、神経質になってきたのは、自分が柔軟でタフな気持ちを失いつつあるからなんだ…周りのせいではない。イライラ、モヤモヤするのは、自分自身が生み出した、自分だけの感情なんだ…近親が全てではない。初心や志が消えてゆくのは、自分が弱いから…暮らしのせいではない。駄目なことの全てを時代のせいにすることは、尊厳という希望を捨てることなんだ。自分の感受性―感じとる力―は、自分で守るのだ。何かや誰かのせいだと言って、自分の屈辱を擦りつけるのは、ばかものだ。ここで言う、ばかものは、私自身であると感じました。


私は、上手くいかないこと、気に食わないことがあると、××のせいだ、と考え、自分を正当化して、いい気になっていたことがありましたが、この詩を読んでから、このことがとても恥ずかしくなりました。同時に、都合よく考えを変えて、卑怯だったな…と情けない気持ちにもなりました。失敗や挫折の原因は、自分にあります。けれど、それを認めるのが悔しくて、怖いから、見ないように逃げていました。でも、それでは何も変わりません。自分の古傷に、自分が向き合って、正直になること、欠点を認めること、過去を省みることも、自分がやらなければ、傷は癒えないからです。何かのせいにすることと、自分で自分を守れないひとは、ばかものである。…この詩の言葉が、私を感動、感激させ、大切なことに気付かせてくれました。


時折私は、人間関係に閉鎖的になることがあり、悩んでいた時期がありました。周りは楽しそうなのに、自分はちっとも楽しいと思わない。「本当に心の底から笑っている人なんて少ないはず、仲間外れにされたくないから、何となく笑って合わせてるだけでしょ。」このように、心の中で他人を軽蔑して、自分の殻に閉じこもっていたときがあります。すると、私に話しかけてくれる人は少なくなった。あまり笑わないし、仏頂面ばかりしていたせいか、周りは私を敬遠していきました。それが少し悲しくなり、疎外感と孤独感の狭間で揺れ動く毎日は辛かったです。私は、「周りが私を理解していないだけ。」と開き直ったつもりでしたが、その自己中過ぎる考えは、この詩を読んで変わりました。「私が周りを理解していないだけなんだ。」と。


傍観的になって、勝手に考えを巡らせている妄想は、全く意味がありません。周りとの摩擦の原因は、友人ではなくて、自分が心広く、柔軟になれなかったことなんだ。と思いました。多少合わせづらい話題でも、聞くだけで何か新しい発見があるかもしれない。その人について、何かを知るキッカケになるかもしれない。無理に笑わなくていいから、楽しい雰囲気を共有し合って、ほがらかに過ごせばいいんだ。疲れたら、またね、と言って帰ってもいいんだ。自分がしなやかに行動できれば、心への水やりができる。イライラも少なくなる。周りに気持ちを察してもらうのではなく、自分が意思表示をすることがコミュニケーションをとり合う上で一番大切なことであることにも気がつきました。周りを責めるのではなく、自分の心の中にある否を探して、反省し、改善し、更生させてゆく。これが悩みと自分の殻を破る上で大事な過程であると考えます。


「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。」いつだって、きっと、この言葉は、私を立ち上がらせて、前を歩いてゆく原動力になることは間違いありません。

 

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