平成26年1月30日(木)に文書館基礎講座の第2回「白山公園と明治が目指した近代化」を開催しました。
第2回は、明治初期、都市公園として全国に先駆けて建設された白山公園をとおして、近代化を目指す明治時代の新潟をひも解いていきました。参加者は、地元の白山公園の成り立ちに思いをはせながら、熱心に受講されていました。
以下、第2回の講座内容を概略で紹介します。
白山公園(新潟遊園)の設立は、新潟県令楠本正隆の主導のもと、明治5年(1872)に始まった新潟町の近代都市化計画にとって、必要不可欠な要素でした。太政官布達第16号(明治6年)により、日本最初の都市公園として登録された白山公園は、市民が心身を養い文化に親しむ憩いの場にできるという高い理念を掲げて誕生しました。その誕生を祝して建てられた『新潟遊園之碑』には、「荷蘭(=オランダ)の制を規範とした公園である」とあります。このことから、白山公園はオランダ式公園といわれてきました。
しかし、実際に建設された白山公園の姿は、日本庭園の様式の中に、啓蒙・公共・保健衛生・娯楽といった西洋の公園思想を併せ持った公園だったのです。
白山公園は、明治初期における近世都市から近代都市への急速な変貌の過程を示しています。

【講座の様子】
講座で紹介された資料を一部紹介します。

【白山遊園之図(新潟県立図書館所蔵)】

【新潟白山公園入口(請求記号 近代35㎜87-13)】