読書を知る
第45回(令和7年度)
全国高校生読書体験記コンクール一ツ橋文芸教育振興会賞
向井 理湖さん(三条高等学校)
(取り上げた書名:『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』/著者名:かまど, みくのしん/出版社名:大和書房)
私は読書が嫌いだ。文章を指でおっていたはずなのに同じ行を繰り返し読んだときの苛立ち。文中の一言が気になり読み進められないときの焦り。読み終わったのに筆者の伝えたいことが分からなかったときの虚無感。高校生になった今でも私の心を惹くのは子ども向けの絵本ばかりだ。
私がこの本を選んだ理由は、読書家の姉に「読書感想文が書いてある本持ってるよ。何か理湖みたいに本を読むのが苦手な人が書いた本。」と言われ興味を持ったからだ。正直、姉の説明ではどんな本なのか想像できなかった。けれど数年ぶりに自分からこの本を読んでみたいと思った。
『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』この本は筆者のかまどさんと、その友人であるみくのしんさんとの会話によって構成されている。本に苦手意識があり読んだことがないみくのしんさんが、かまどさんと協力して『走れメロス』『一房の葡萄』『杜子春』『本棚』の四作品を読んで感じたことや不思議に思ったことをありのままに書いている。この本を読んでいくうちに私はみくのしんさんと本の読み方が似ていることを実感した。それは「文章を観ている」ことだ。登場人物の容姿、表情、感情、過去、家族構成から作中の季節、時刻、天気、立ち位置まで書かれていないことを想像して脳中で再生する。まるでオリジナル映画を作るような読み方だ。実際、みくのしんさんは『走れメロス』では場面ごとにBGMを想像し、『一房の葡萄』ではホワイトボードに絵を描き、『杜子春』では主人公の立ち位置から西日と影の関係を考え、『本棚』では話相手を予想する。かまどさんはこれを感覚型の読書と表現している。おそらくこのように文章を脳内補完して読書する人は少ないのではないだろうか。
この本で一番印象に残っているのは「本当に、みくのしんは今まで一度も読書したことがないの?国語の授業で何かしら読んだことはあると思うんだけど。」「あれは「読書」じゃなくて「お勉強」でしょ。」という会話だ。私はこの文章に強く衝撃を受け、同時に心惹かれた。私が読書を嫌うもう一つの理由に「正答がある」事が挙げられる。人物像や行動動機など、本を読むうえでつかむべき要点はいくつもあり、それには模範解答がある。自由に想像しながら読む私にとって正答がある読書は堅苦しく息苦しいのだ。しかし〝あれは読書ではなくお勉強〟という言葉に私は心を救われた。本来、読書に正解なんてものはなく、読む人ごとに異なる感想をもつおもしろさがあるから本という文化は残り続けているのだと再認識させられた。模範解答があるのはお勉強だから、そう考えれば今までいったい何に苦しんでいたのかと不思議になるほど気が晴れた。私の読書方法はけっして一般的ではない、けれど間違いでもない。この事実がうれしくてしかたがない。
この本を通して私は、読書は自分が思っていたよりも自由であること。そして、他の人と同じ事だけが正解ではないことを学んだ。この本に出合う前は、自分の読書方法は周りと異なると恥じて本そのものから自分を遠ざけていた。今となっては視野が狭く軽率な行動であったと反省している。しかし、この本でみくのしんさんが読書を自由に、眩しいほど素直に取り組む姿に私は感動した。周りと異なることを恐れ、私にはできなかった読書と向き合う姿をかっこいいと思った。私はこの本を読み、周りと異なる方法をとることは恥じることではないことを学べた。私と同じように本を読む人がいて、読書で泣いたり怒ったり笑ったりできることを知った。
そして私は自分なりの方法で読書をしたいと思い、本の中で出てきた『一房の葡萄』を読み返すことにした。机上には本、自由帳、絵の具とカラーチャート。傍から見たらこれから読書をするなんて思いもしないだろう。けれどそれでいい、これが私なりの読書方法だ。本を読みながら私は出てくる色で自由帳に絵を描いた。平面の文章が立体的になるような気がして、初めて本に対して心躍った。読後、私は自由帳を見て文中に出てきた藍色と洋紅色を混ぜると葡萄色になることに気付いた。文章だけではなぜ仲直りの証が葡萄なのか理解できなかったであろう。文を読んで、文を観たことで理解できた。自分にとっての読書をやっと確立できた。
私はこの本と出合って読書の楽しさを知ることができた。「本って勝手に始まらないんだよ?」みくのしんさんの言うように読書は自分から一歩踏み出さないと始まらない。しかし、だからこそ少しの勇気と興味を持ち本に手を伸ばしたとき想像と知識の世界にどっぷりと浸れるのだ。自分なりの読書方法を知ることが本当の読書と出会う始まりになると私は考える。