私の中の正解

第44回(令和6年度)
全国高校生読書体験記コンクール入選
髙橋一恵さん(私立新潟清心女子高等学校)


(取り上げた書名:『あの夏の正解』/著者名:早見和真/出版社名:新潮社)

 「正解」という言葉を辞書で引くと、正しく理解し、解釈すること。正しく解答すること。またその解答。また結果として適切であると思われること。と記載されている。

 「あの夏の正解」は、早見和真さんによって描かれたノンフィクションである。この本のタイトルの「あの夏」とは二〇二〇年新型コロナウイルスの世界的な蔓延で、全国高等学校野球選手権大会が中止となった「あの夏」のことである。

 今年も甲子園では、夏の高校野球が開催されている。ただ「あの夏」だけは違っていた。高校球児は甲子園を目指すことすら許されなかった。筆者は、高校野球の強豪校である愛媛県の済美高校と石川県の星稜高校の二校を訪れ、高校球児とその指導者である監督を取材した。

 二〇二〇年、春の選抜もインターハイも夏の甲子園も中止になった。甲子園を目指した高校球児は小、中、高という長い間、ひたすら厳しい練習に堪えて、甲子園に行くという目標に突き進む。甲子園に行くために強豪校を選択し、大勢の選手の中からレギュラーポジションを勝ち取り、地区大会に勝ち進んで、甲子園で行われる全国大会に出場できる。ただ「あの夏」は甲子園のない夏となり、全ての高校球児は不条理にも、そのステージにすらあがれない。今まで全てを捧げてきた夢が一瞬にして閉ざされた時、それが最後となった高校三年生はどんな気持ちであっただろう。

 そんな高校球児たちほどではないが、私も同じような思いをした。

 二〇二〇年、私は小学五年生だった。私は小学一年生からミニバスケットボールをしていて、二月にその新人戦があった。小さいリーグだったが勝ち進み、次は決勝リーグの予定だった。しかしその頃、新型コロナウイルスが日本にも蔓延し、小学生最後の新人戦決勝リーグは開催が中止となった。その他にも、予定されていた対外試合や大会は全て中止となった。私は今まで積み上げてきたものを出し切れず、試合ができないことをただ悲観するだけであった。

 しかし、あの夏の球児たちは、決して私のようにただ悲観するだけではなかった。夢が消えた事でチーム全体の意識が下がり、代替試合の結果が出ない場面もあった。しかし甲子園の夢が消えても、途中で野球を辞める人も出ず、両校とも三年生全員最後まで、野球に真摯な姿勢で取り組むことを選んだ。高校球児たちは失ったものにこだわるのではなく、今自分にできる事を見つけ、それに全力を尽くした。ある球児は、目標がなくなった中で、最後までやり遂げることに大きな意味があったと言った。また別の球児は、最後の二カ月必死で練習したことは甲子園以上に大切な事ではないかと言った。球児たちは「あの夏」を自分たちにしか経験できなかった価値のある夏だと考えた。

 この作品で描かれる「正解」というのは、誰にとっても答えは一つではなく、自分自身で見つけだすものだと思う。高校球児たちはそれぞれ自分自身の「正解」を見つけ、前に進む。どんな状況にあっても、自分自身の正解を探し続ける。その姿勢が大切だと思い知った。

 私もあの時、悲観するだけでなく自分の正解を探していたら、もっと違うものを見い出せていたのかなと思う。

 これからの人生においても、また同じような境遇に出会う事があるかもしれない。でも、今度はその都度、私は私の正解を求めると思う。この「あの夏の正解」の高校球児たちのように前向きに、自分なりの正解を考え、見つけて前に進んでいきたいと思う。私はこの本を読んで、改めてそう考えた。

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