本が導く「戦争のない平和な世界」へ

第42回(令和4年度)
全国高校生読書体験記コンクール県優良賞
手代木幸さん(私立東京学館新潟高等学校)


(取り上げた書名:『平和のバトン』/著者名:弓狩匡純/出版社名:くもん出版)

  令和四年五月二十二日。私は、高校生平和大使の新潟選考会の会場にいた。「戦争のない平和な世界」を目指す第一歩として、平和大使に応募したからだ。
 中学二年の夏休みに課題図書「平和のバトン」を読んだことが「戦争のない平和な世界」について考えるきっかけとなった。広島の被爆体験証言者が高校生に自分の被爆体験の記憶を語り、高校生がそれを絵に描いて記録するというプロジェクトについて書かれていた。被爆体験証言者が高齢化により少なくなっていることに加え、戦争を知らない高校生の世代と被爆体験者の世代が絵を描くという手段でつながり、バトンを渡すように記憶に残す試みだと知った。新聞には、被爆体験者が体験を語る語り部に加え、当時を知らない若い世代の人たちがその語りを引き継いだ若者の語り部が紹介されていた。戦争を知らない世代にどんな方法で戦争の実態を伝え続けることができるかはとても重要な課題だと思う。その課題の解決方法の一つを紹介した大切な一冊でもある。
 「平和のバトン」を読んだことで、広島の原爆についてもっと知りたいと思っていた時、新聞で女優の奈良岡朋子さんが「黒い雨」の一人舞台をするという記事を読み、母と見に行った。目をつぶって声に耳を傾けると、地獄のような状況が見えた気がして、いつまでも心に残り続けた。若い矢須子が訳も分からず落とされた原爆により、心身ともに深い苦しみを味わいながら短い人生を終えたという話だった。有名な人やお金持ちではなく、どこにでもいる普通の女性が主人公であることで、より現実的で身近なものに感じられ、胸をしめつけられる怖さもあった。
 新聞で高校生平和大使の記事を目にしたのはちょうどその頃だ。私は、これだと思った。高校生でも平和に関わる活動ができるのだと知り、高校生になったら平和大使になりたいと考えた。私なりに「平和のバトン」をつなぐ活動に参加したいと思ったからだ。しかし、どんな活動をしているのか全くわからず、インターネットで高校生平和大使を検索してみた。高校生一万人の署名を集め、その声を国連に直接届けるというのが活動の中心のようだ。なぜ高校生なのだろう、高校生の話を国連の大人たちが聞いてくれるだろうか、署名を集めただけで戦争がなくなるほどの力が持てるだろうか、そもそも国連は戦争を止められるのだろうかと次々に疑問が湧いた。
 しかし、「微力だけど無力じゃない!。」というスローガンのもと、実際に集めた署名をジュネーブの国連欧州本部に届けていて、ノーベル平和賞候補に推薦されるほど知られた活動に発展している。私一人が直接国の代表と面会できるかと言えば、現実的ではない。でも、一万人が声をあげたら、それは「平和のバトン」をつなぐ大きな力になるかもしれない。戦争をしてはいけないと思っているだけでは何も始まらない。突破口になりそうなことがあったら少しでも前に進めるように行動したいと思った。私は、残念ながら選んでもらうことはできなかったが、チャレンジしたことは良かったと思う。自分の学習不足を認識できたからだ。漠然としたイメージだけで、実際にどんなことを訴えたいのか自分の想いを面接官の前で表現することができなかった。「戦争のない平和な世界」をどうしたら実現に近づけるか、もっと知らなければならないことは多く、学ぶ必要性を感じた。
 夏休みのテレビの特集番組では、ウクライナで報道記者として働く女性と私と同じくらいの年頃の娘さんが映っていた。街中に倒れている一般市民の遺体も映し出され、今、この地球で起こっていることとは信じられない悲惨な光景が現実にあると思い知らされた。報道記者として同郷の人たちの死を伝える恐怖の顔、二人の子どもたちの母としての葛藤の顔、とてもつらそうだった。戦争で亡くなった方々は勿論、戦時中を生きている人たちも苦しみ続けている。私たちは当事者に寄り添って、戦争がもたらす苦しみもバトンとして受け止め、「戦争のない平和な世界」に向けて考えなければならないと思った。
 令和四年八月十六日。今の私でもできることをしてみた。新聞の読者の声欄「窓」に、「今こそ、平和を思う気持ちを一人一人が表し、つながることが大切なのではないでしょうか。」と投稿し、新聞を読んだ人が一人でも多く平和を願う署名活動に参加してくれるように提案した。そして、私も「高校生一万人署名活動」のデジタル署名に参加した。
 私は、中学二年で「平和のバトン」と出会い、高校一年までの二年の間に「戦争のない平和な世界」について考え続けてきた。自分が探せば、本から手がかりをみつけることはできるだろう。その手がかりを編んでいったら、自分の答えにたどり着けると思う。その過程が「自分」というものを作り上げていくのではないかと考える。

このエッセイに関連する本