『本が導く「戦争のない平和な世界」へ』の一年後

第43回(令和5年度)
全国高校生読書体験記コンクール入選
手代木幸さん(私立東京学館新潟高等学校)


(取り上げた書名:『みんなの「わがまま」入門』/著者名:富永京子/出版社名:左右社)

 令和五年八月二十二日。私は第二十六代高校生平和大使としてジュネーブにある国連軍縮本部で平和スピーチをしました。高校生が主体となり、戦争も核兵器もない「平和な世界の実現」を求めた署名を届け、原爆被害の実相を世界に伝える活動を行っています。去年も挑んだ「戦争のない平和な世界」への思いがようやく行動に移せたのです。
 しかし、最初から署名活動ができないという大きな壁の前で途方に暮れてしまいました。実は、私自身今まで署名を集めたことがありませんでした。世の中に戦争を望む人はいないだろうから、簡単に応じてくれるはずと軽く考えていました。しかし、署名依頼の手紙の返事は私の求めていたものとは全く違うものでした。個人情報が特定される危険性があるという教育的配慮で許可されない。イベントの主催者と会場の責任者の双方から相手方の許可をとることを求められる。平和の集会や施設であっても、一部の署名の許可をすると他の団体からも署名依頼がくるから困る。これらの理由で断られました。署名活動ができないというとても大きな壁でした。そして、「私のしていることは正しいはずだ」という確信が、何かもやもやしたものに変わっていきました。
 そんな時、母が『みんなの「わがまま」入門』を勧めてくれました。本の題名からは全く内容が想像できなかったので、母に尋ねると、「幸が考えているような意味の本じゃないと思うよ。まずは、読んでごらん。」と言われました。社会活動の勧めのような本でした。著書のなかで社会運動とは「国や会社、学校に不平や不満を訴えて、人の意識のあり方や、その場のルールや制度を変えようとする行動」とありました。核兵器廃絶や戦争反対への署名を集めるという行動がまさに社会運動にあたると知り、本を読み進めてみました。
 著者の「何かが大きく変わらなくても、行動する人やその周りの人にとって何か変化があれば、それはその人にとって、社会運動をする意味になる」という言葉に、私は救われました。署名活動の交渉を粘り強く進めていくうちに趣旨を理解してくださる方々と出会い、うれしく思いました。少しずつではあるけれど、署名数は増えていき、やりがいや自信もでてきました。自分の心の変化を感じられるようになってきたのです。著者の言葉は、目標到達から遠いからといってあきらめず、目標に一歩ずつでも確実に近づけば良いというアドバイスではないかと受け取りました。高校生平和大使のスローガンにも「ビリョクだけどムリョクじゃない」という言葉があります。一人一人の署名は、世界の平和を願う人々の大きな希望です。署名数にこだわりすぎると活動することを負担に感じてしまいます。著者の考える社会運動をする意義から言えば、損失が大きいので、気負いすぎずに自分のペースで進もうと考えると、気持ちを前向きにすることができると気づかされました。
 国連軍縮部レジンバル事務所長から「一つの問題は様々な問題につながっている。戦争や核兵器の問題は歴史・経済・宗教・環境・人権等の問題が複雑に絡みあっているため、多角的な視野を持って課題解決に取り組まなければいけない。また対話したい相手が関心のあることから、アプローチすると良い。」と教えていただきました。この話は著者の「違いからはじめて同じ根っこを探す」という考えととても近いものではないかと思いました。私たち高校生平和大使二十二人は、日本各地から選出されました。広島・長崎の被爆地の被爆三世・四世で原爆被害の実相を曾祖父母から涙ながらに話を聴いた人、亡くなるまで話を聞けずそれが心残りの人、ウクライナで仕事のある父と離れ帰国した人、岩手・福島の東日本大震災の被災者の人、私自身も十二年間父と離れて福島県から新潟県に自主避難している一人です。個々のバックグラウンドは異なっていても核兵器廃絶を通して平和な社会の実現を目指すことは、高校生平和大使の仲間として「同じ根っこ」でした。難しいことですが、様々な問題について多くの人の知恵や思いを集めることで、お互いの「同じ根っこ」を確かめ合えればと強く思いました。
 私は中学二年で「平和のバトン」に出会い、広島の原爆の記憶を絵画として伝承する高校生の話を知りました。高校生になったら私にもできることをしたいと考えたことが、高校生平和大使の活動に結び付きました。今年の夏は『みんなの「わがまま」入門』を読むことで、社会運動を通して新しい見方や考え方に触れ、新潟県で二一二六筆の署名を集めることができました。帰国後に再度読み、国連本部訪問で聴いた言葉と本の中の言葉が私の中でつながりました。私はこれからも本を通して想像の世界を楽しむ「娯楽」だけでなく、平和のための様々な問題を知る「学び」として本を読みたいです。読書は、私にとって、どんなときも私を導いてくれる羅針盤です。

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