解読文

 

解説

 今回から3回にわたって、世界文化遺産登録をめざす佐渡金山に関する資料を取り上げます。金山(鉱業)特有の言葉が使われていたり、江戸時代も初期の文書や書状で、解読には難しいところもあるテキストですが、挑戦してみてください。

 最初の資料は、慶長8年(1603)佐渡代官に任ぜられ大きな実績を上げた大久保長安の金銀山経営について記したものです。“山仕”はいわゆる“山師”で、古くは山主とも書き、ある程度の鉱業技術の知識や資金力を備えた一坑あるいは一山の経営者です。長安は掘り進んで水没した間歩(坑のこと)に公の経費で水抜き坑道を整備して復興し、山師に俸給を与え採掘に必須な炭・留木・蝋燭などの生産資材を供給し安定して金銀を採掘させる御直山(おじきやま)の制度を確立しました。山師の中でも成功した味方但馬たちは御目見すなわち徳川家康に拝謁を許されたとあり、味方但馬の子孫の家には家康から賜ったと伝える衣服や茶碗・扇子が現在まで伝えられています

        【CSDサド62-7485 佐渡高校同窓会(舟崎文庫)所蔵「佐渡年代記」】