新潟県内の諸地域に関する相談:Q4
質問 | 長岡空襲に関する資料について知りたい。 |
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回答 |
昭和20年(1945)8月1日夜、長岡市はB29爆撃機による焼夷弾爆撃を受けました。この日、日本を襲った800余機のうち125機が、志摩半島から富山湾を経て新潟県に侵入し長岡市及びその周辺に焼夷弾攻撃を加え、福島県へ脱去しました。 約925トンの焼夷弾が投下され16万余発の焼夷弾が雨のように降り注ぎました。この空襲により市街地の約80%が焼け野原となり、学童約300名を含む1,470余名の尊い生命が失われました。 『長岡の空襲』『語りつぐ長岡空襲 長岡戦災資料館十周年記念誌』(長岡市発行)には、空襲被災状況や多くの空襲体験の記録などが記されています。 当館では、戦後の戦災復興に関する公文書を所蔵しています。
また、複製資料として空襲当時の『新潟新聞』も参考としてご利用ください。 |
参考資料 | 『新潟県史』通史編8(近代3) 『長岡市史』通史編(下巻) |