新潟県内の諸地域に関する相談:Q3

Q3
質問 北国街道の越後での道筋を知りたい。
回答

北国街道は、近江国彦根(現滋賀県彦根市)を発して、金沢、高岡、糸魚川を経て出羽国の西端、鼠ヶ関ねずがせきを目指す道程です。この道はかつて、都から佐渡国府に通じた古代の官道、北陸道とほぼ重なります。また、中山道追分宿おいわけしゅくから分かれ、信濃国の東部を北東に走り越後高田に至る道を北国街道越後路ほっこくかいどうえちごじといいます。高田にて、この越後路と畿内から日本海沿岸を走ってきた古代の北陸道が合流します。北陸道は、近世になると「北国街道」「加賀道」とも称されるようになりました。

県内の北国街道は糸魚川、能生のう名立なだち、長浜、高田、鯨波、柏崎、宮川、椎谷しいや、出雲崎、寺泊、弥彦、赤塚、新潟、新発田、村松浜、荒井浜、村上、鼠ヶ関、おおよそ以上の各地点を通る道程です。

信濃と越後を結ぶ越後道は、江戸にもつながり、「北国脇往還ほっこくわきおうかん」「信州通しんしゅうどおり」とも呼ばれ、重要な幹線道でした。特に古くから塩や米などの物資運搬の道であり、名刹善光寺への参詣道でもありました。この道の重要性は、佐渡で産出された金銀の輸送経路にあります。越後の長岡から上野国こうずけのくに高崎にいたる三国街道、新潟から会津若松へぬける会津街道も利用されていましたが、信濃を通るこの道はもっとも重要な道とされていました。

参考資料 『新潟県史』通史編3~5(近世一~三)
『新潟県歴史の道調査報告書』第二集北国街道Ⅰ、第五集北国街道Ⅱ
『図説新潟県の街道』(郷土出版社)
『週刊日本の街道』23、51、69(講談社)
『北国街道―東北信濃と上越』(吉川弘文館)