新潟県内の諸地域に関する相談:Q1

Q1
質問 東蒲原郡が新潟県へ編入された際の関係資料について知りたい。
回答

明治19年(1886)5月10日、それまで福島県に属していた東蒲原郡が新潟県に編入されました。

当館では「明治十九年東蒲原郡引受書」(H92総地2)を公開しています。この簿冊ぼさつには移譲いじょうにともなう税収、予算、備荒費びこうひ、事務一般および目録、郡役所の引渡などに関する書類がまとめられています。巻末に綴じ込んである東蒲原郡各町村の惣代そうだいが連名で新潟県令篠崎五郎しのざきごろうに宛てた謹書(明治19年5月24日)には、当郡は隣国(福島県若松)との境界に位置し、森林や鉱山の資源はあってもなかなか将来にむけて託すべき事業がみいだせないと述べて、今後の発展に新潟県の協力を懇望しています。一方位置的には北蒲原郡と中蒲原郡に接しており、両軍いずれかに合併されることは郡民の立場から抵抗があったようです。郡下13町村の代表33人による連印を持つこの謹書には、小さい郡といえども郡衙をおきたい、という言葉がみられます。

編入から20年後の明治39年6月の「新潟新聞」に掲載された東蒲原郡行脚の報告は、郡を救済するために適切な統治方針を定めること、教育による啓発、産業の奨励、金融機関および交通機関を設置することなどをあげ、当時の郡行政の運営が一筋縄ではいかなかったことを示しています。

参考資料 『新潟県史』通史編6近代一(p653)、資料編近代三
管理委任文書(請求記号H92総地2)、「新潟新聞」明治39年6月
『新潟県大百科事典』