〔第21回解読文・解説〕
解読文
解説
田村新田(上越市大潟区)の笠原家は、江戸時代後期、田村組の大肝煎などをつとめた旧家です。
明治に入ると、新潟県会議員・衆議院議員などの要職をつとめる一方、金融業や石油事業にも乗り出しています。
笠原家文書は、全部で8000点ほどになりますが、福沢諭吉をはじめとする要人との交流を示す「書状」も残されており、笠原家の活躍ぶりがうかがえます。
今回のテキストは、笠原家文書中に残る『公私日暦』の一節です。高野長英の探索に関わって、高田在に住む杉田玄作という医生が長英と入魂との嫌疑が掛けられているとの知らせが、訪問者横山氏からもたらされています。
高野長英は、天保8年(1837)のモリソン号事件に対する幕府の対応を批判した『戊戌夢物語』の著者としてよく知られた人物です。翌年の蛮社の獄で捕縛、永牢の処分を受けていた彼が、上越後に姿を現したのは天保15年(1844)のことで、江戸小伝馬町獄舎の火災に際して脱獄し、母親の住む郷里(陸奥国水沢)へ向かう途中のことでした。
この記事の周辺には、ほかにも長英探索の記事が見受けられ、幕府の探索が厳しく行われていたことをうかがい知ることが出来ます。笠原家文書には、文政4年(1821)から明治6年(1873)にいたる『公私日暦』が残されています。幕末から維新期にかけての激動の時代の息吹が感じられる、興味深い史料といえます。
資料請求番号:CF18-32