〔第03回解読文・解説〕
解読文
解説
安政2年(1855)は、日米和親条約が結ばれた翌年で、イギリスやフランス・ロシアなどの艦隊が相次いで来航した年にあたります。高田藩は、寛政5年(1793)に長岡・新発田藩とともに年番で佐渡警固を命じられ、特にペリー艦隊の来航以来は、軍船所有が大きな課題となっていました。
百間町新田からは、テキストに見られるように、栄右衛門(滝本家)と重右衛門(山田家、百間町村の大地主)が2人で百石積船一艘と船具を献納しています。高田藩は、この献納を喜び、栄右衛門と重右衛門には苗字御免の御用達格を与えています。
頚城の豪農たちが日本(世界)の動きと無縁ではありえなかったことを、この文書は如実に示しています。
資料請求番号:E9910-115