[第95話]新潟県史編さん夢物語 幻から正夢へ

 令和2年(2020)に開催予定であった東京オリンピックは、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、翌令和3年に延期となりました。開催されると、2度目の東京オリンピックということになります。1度目は、昭和39年(1964)10月に開催され、戦後の復興を世界にアピールする大会となりました。それ以前に予定されていた昭和15年(1940)の大会は、戦況が悪化する中で中止され、幻に終わりました。この話はNHK大河ドラマ「いだてん」でも取り上げられています。

 話は変わりますが、新潟県史編さんは、昭和51年4月から平成3年(1991)3月末まで15年の歳月をかけ、通史編・資料編・別編・概説の全37巻が刊行されました。しかし、昭和15年の東京オリンピックと同様に、幻となった新潟県史編さん事業がありました。

 新潟県では、大正から昭和初期にかけて、修史事業が盛んに行われました。大正15年(1926)の郡制廃止に伴い、各地で郡史編さんの機運が高まりました。加えて、高橋義彦氏による「越佐史料」の刊行など、民間の修史事業も始まりました。

 こうした動きに呼応して、新潟県史編さんへの期待が高まりました。昭和7年(1932)には民政党県議などからの強い要望を入れて県史編さんが開始され、昭和7年度の県予算案に県史編さん費が盛り込まれました。ところが、編さんに関わる人材を揃える困難さなどを理由に予算の執行がなされず、翌8年度の予算案には県史編さん費が計上されませんでした。そこで、12月県会に於いて、民政党の塚野健治議員、政友会の伊藤栄一議員らから質問がなされました。12月13日付の『北越新報』には、次のような記事があります。伊藤議員は、「県史編纂に就て塚野君が質問したから一言するが、之れは最初此費用は政友会で反対した費用であった筈だが、兎に角八年度に之れを予算上に見る事の出来ないのは遺憾である。(中略)人選の暇がなかったのであらうが三千何百円の費用が残っているのだから、やれば明年度でもやれると思ふが県の考へは如何か」と迫りました。これに対して県の石川内務部長は、「金は残って居るから明年に事業繰越か何かの方法で仕事にかヽる事が出来ると思ふ」と答えました。伊藤議員はさらに念を押して、「高橋義彦氏等の犠牲的努力家も居られる。何とか機会を得て県史の編纂は国民性及び愛郷心に関係のある事だから是非行って貰いたい」と述べています。このように、県史編さん事業は、当初は民政党の要望であったものが、この時点では政友会も推進する側に回っていることがうかがえます。これを受けて、県は昭和8年度予算案に約3千円を計上し、昭和8年4月に新潟県史編纂委員会を設け、事業は本格的な開始をみました。しかし、その後の戦況の拡大等により、県史編さんは不急の事業とみなされ、昭和14年3月末をもって中止となりました。

 実現されずに終わった第1次県史編さん事業でしたが、昭和49年(1974)6月28日に「県史編さんと史料保存をすすめる県民の会」(会長・北村四郎新潟大学長)が、県議会に県史編さんと歴史資料保存機関の設置を請願しました。これにより、昭和51年4月から県史編さん事業が開始されました。以後、関係者の努力により編さん事業は極めて順調に進められ、当初の予定どおり全37巻を刊行し、平成3年3月末で終了しました。県史編さん事業と並行して文書館建設準備が進められ、平成4年8月には県立図書館及び生涯学習推進センターとの併設館として県立文書館が開館し、現在に至っています。

県会における新潟県史編さんについての質問記事
【県会における新潟県史編さんについての質問記事】
『北越新報』昭和7年12月13日付