[第91話]旧制中学生の学校生活

戦前の学校教育は、明治5年(1872)の学制発布に始まります。明治12年の教育令を経て明治19年の学校令(帝国大学令・師範学校令・小学校令・中学校令の総称)に至り、整備が進められました。

旧制中学校は中学校令により定められ、明治32年(1899)の改正により設立が進みました。旧制中学校は現在の中等教育学校にあたるもので、高等小学校第2学年課程を修了した12歳以上の男子に入学資格が与えられ、修業年限は5年でした。

戦前における新潟県立中学校は、新潟・長岡・高田など14校ありました。このうち、当館にある資料から県立巻中学生の学校生活の様子を紹介します。巻中学校は明治40年(1907)4月に開校しました。その第1回入学生の渡邉舜わたなべしゅん少年が4年1学期に書いた日誌が残っています。日誌には、その日に学んだ勉強の概略、学校や家庭での様子などを書くこととされていました。渡邉少年の自宅は旧中之口村打越(現、新潟市西蒲区打越)にあるため、寄宿舎に入っていました。毎日の起床は午前6時、就寝は午後9時という規律正しい生活を送っています。4年時に学ぶ教科・科目は、国語・漢文・作文・地理・歴史・幾何・代数・化学・動物・英語・英文法・修身・体操・図画などでした。

4月8日に始業式と新任式があり、翌9日から授業が始まりました。9日は土曜日ですが、授業は丸一日ありました。放課後は庭球(ソフトテニス)に熱中し、4月17日(日曜日)には三条中学校の先生との試合もしています。5月1日は創立記念日で、午前8時から式典が行われました。昼食はご馳走が振る舞われ、終了の際には茶菓も出されました。日誌には一日ごとの気分や体調が「愉快ナル日」・「普通ノ日」・「苦痛ナル日」などの区分で書かれていますが、この日は「最モ愉快ナル日」となっています。5月18日には佐渡への修学旅行が予定されていましたが、海上の波が高く、順延となりました。ただ、その後の日誌には佐渡旅行についての記載がないので、旅行は結局中止になったようです。6月12日(日曜日)には白根に行き、友人と凧合戦を見物しています。7月14日には「暑中休暇」(夏休み)の宿題が出され、翌日からいよいよ学期試験が始まりました。7月20日までの5日間行われ、作文・体操・図画を除く11科目でした。試験終了後、大掃除・体重検査・大茶話会が行われ、午後2時に終了し、実家に帰省しました。翌日から9月11日までが暑中休暇です。53日間に及ぶ長期休暇でした。休暇に入って間もなく成績表が送付されることになっていたため、結果が気になって、勉強が手につきません。そこで、既に届いていた友人の成績表を見せてもらいました。翌日もその友人の成績表を見ましたが、帰宅したら自分の成績表が届いており、ようやく気持が落ち着きました。9月12日から学業が再開され、日誌の記載はそこまでで終わっています。この日誌は5か月余りの記録ですが、旧制中学生の学校生活の一端を知ることができます。

「渡邉舜治少年が4年1学期に書いた日誌」の画像
(請求記号CKBウワ1)