[第85話]興味は尽きない 番付に見る越後のあれこれ

 番付は、17世紀中頃に歌舞伎などの興行に伴い、宣伝用のパンフレットとして印刷されたものです。やがて相撲興行でも作成され、力士、行司などの階級・地位を東西に分けた一覧表で示す「相撲番付」(注)が生まれました。

 この形式を借りて、相撲番付以外の様々なものに順位をつけて比較するようになりました。これが「見立番付」とよばれるものです。見立番付は単純に番付と呼称されました。

 番付は名所や土産みやげ比べなど、庶民の関心が高いものを題材に、序列をつけて番付表に仕立られました。

 これが越後でも流行し、越後国内での産物・名物・山・川比べなどが作られ、さらに長者番付なども作られていきます。

 江戸時代末期の元治元年(1864)に記された『越後土産初編』の中にある「産物見立取組」は、当時の町や村でとれる名物や産物を大関・関脇・小結などの順位で見立てたものです。東西の大関・関脇は織物が占め、織物が越後の主産業であったことがわかります。小結以下には水引、茶、塩、酒、蝋、材木など多岐にわたっています。各地域に多種多様の産物があったことがわかります。

明治19年(1886)に作成された『越後持丸鏡』は、新潟県における長者番付です。
上位は全国屈指の大地主、大商人、実業家が占め、総勢252名の人名が掲載されています。

 掲載されている中には旧北蒲原郡天王村(現新発田市)出身、大地主で納税額でも全国一位となり、貴族院議員にも当選した市島徳次郎や、旧北蒲原郡金塚村(現新発田市)出身、大地主で、第四国立銀行設立の中心になった白勢長兵衛もいます。また、旧南魚沼郡石打村(現南魚沼市)出身、旧庄屋で上越線敷設功労者である岡村貢もその一人です。

 人々は、これらから、町や村の特色ある多くの産物や人物であれば長者と言われた地主・商人・実業家を知り、話題にしてきました。いつの時代も、興味関心を集めたランキングの世界からは、郷土の状況や、そこに活躍した人たちの姿が見えてくるものです。

(注)相撲の番付表に「横綱」の名称が採用されるのは明治42年(1909)のことであり、それまでは番付表の最上位は「大関」であった。

越後土産初編 産物見立取組
【越後土産初編 産物見立取組】(請求記号E0806-1-246)

越後持丸鏡
【越後持丸鏡】(請求記号E9903-248)