[第8話]前代未聞の横田切れをうたったくどき唄の最高峰
信濃川が破堤する横田切れは、江戸時代初めから明治30年代まで17回あまりおきています。中でも、明治29年(1896)7月の大洪水が知られています。多数の死者、広大な流失耕地を出しました。燕市横田地内の信濃川堤防上に「横田切れ公園」があります。その公園と道路をはさんで、明治29年の横田切れの小さな記念の石碑が立っています。
【横田破堤記念碑】
しかし、明治29年の時より大きい大破堤が、宝暦7年(1757)におきました。それも5月3日から6月17日までの一夏の間に4回も破堤しました。その惨状、人々の苦しみの悲劇を臨場感あふれる文句で抒情的に「くどき唄」として、瞽女が後世に伝え残しました。宝暦の横田切れを示すものは今は何も残っていません。この「横田切所くどき」が伝わるだけです。特徴を紹介します。
(1)全文が七七調の流れるような調子で、蒲原の発音と方言のままでうたわれています。
(2)京・大阪辺の名所旧跡の風景や情景を現場の様子にうたいこんでいます。
(3)故事や伝説を織り込んで、人々の感動と涙を誘います。
(4)昔の聖人・君子の教えを示して、新たな希望を与えます。
実物は、読み継がれ、写し継がれて、傷みもあります。写し間違いもそのままです。
どうぞ、一度手にとってご覧ください。
【横田切所くどき】(請求記号F40-777)