[第78話]いったいいくつあるんだろう?越後七不思議のふしぎ

 江戸時代の越後に関する案内書や紀行文に「越後七不思議」がでてきます。現在でも、「やきふな」(注1)や「数珠じゅずかけざくら」(注2)など親鸞の伝説にまつわるものが有名です。

 越後七不思議とは、古くから越後国に伝わる珍しい事柄の総称ですが、不思議な事柄は必ずしも同じものが記されているわけではなく、さらには七不思議と言いながら、7つとも限りませんでした。

 では、なぜ越後七不思議と言いながら、7つ以上の不思議があるのでしょうか。

 水原(現阿賀野市)の書籍商小田島のぶたけは、文化12年(1815)に記した『越後野志』で「どの不思議が本来の七不思議なのかは誰も知らない。そのため、旅行者が越後に来て地元の人々に越後七不思議について尋ねると、人によって様々な答えが返ってくる。それをすべて書き残していくから、七不思議の数が増えていくのだ。」と述べています。

 例えば、安政4年(1857)に刊行された水戸の高橋かつあんが記した紀行文『北遊紀行』に七不思議の記述がうかがえます。克庵が如法にょほう村(現三条市)の「せい」(注3)を訪れたときに越後七不思議というものがあることを教えてもらい、七不思議は「火井」のほかに「燃ゆる水(注4)、しろうさぎ(注5)、胴鳴どう(ほら)なり(注6)、海鳴うみなり(注7)、無縫塔むほうとう(注8)」があり、残るひとつは「三度さんどくり」(注9)や「そく身仏しんぶつ」(注10)、「塩井しおい」(注11)など諸説あると述べています。さらに、そのほかにもあるとして合計22個の不思議を紹介しています。

 また、慶応4年(1868)に発行された『北越名所旧跡奇物名産地理案内之全図』にも越後七不思議が載っています。この絵図では、七不思議が7種類もあり合計49個の不思議が紹介されています。これは、現在確認されている越後七不思議の中で最も多い組み合わせとされています。

 越後七不思議の数は、旅人が多くなった江戸時代後期には、上記のようにたくさんになりました。

 このように、現代であれば解明できる不思議と思われていたことも含めて、たくさんの不思議が越後国にはあったということが、様々な資料からわかります。

 今後発見される越後の紀行文や案内書には、現代の私たちの知らないたくさんの不思議が眠っているかもしれません。

(注1)… えのきの枝の断面に、親鸞が食膳から逃がした焼鮒の形が見える不思議。
(注2)… 数珠のように花の房がつながって咲く桜のこと。
(注3)… 天然ガスの出る所。
(注4)… 石油のこと。または、石油が湧き出る所。
(注5)… 冬になると毛の色が白く変化するウサギのこと。
(注6)… 一説には、源義綱に討たれた黒鳥兵衛の別々に埋められた首と胴が一緒になりたいと音が鳴る不思議。(実際には雷の音か。)
(注7)… 聞こえてくる潮の響きの方角から、これからの天気がわかる不思議。
(注8)… 川内(現五泉市)の永谷ようこく寺の住職が亡くなる頃に、早出川の淵から岸辺に墓石のような石が流れ着いた不思議。
(注9)… 1年に3度実がなる栗の木のこと。
(注10)… 野積浜(現長岡市)の西生寺にある弘智法印の肉骨がある不思議。
(注11)… 与板(現長岡市)や栃尾(現長岡市)に塩水が湧き出る井戸がある不思議。
注意:越後七不思議の内容は諸説あり。

北越名所旧跡奇物名産地理案内之全図
【北越名所旧跡奇物名産地理案内之全図】
(請求記号E9312-1-9)

北遊紀行
【北遊紀行】(請求記号E9314-2-129)