[第72話]民主主義は文体から 文は体を表す

 表現された文のかたちを文体といいます。文書館に保存されている江戸時代の伝達文書等は、日常会話と異なる文語文体で「被仰付、可被候(おおせつけさせられ、くださるべくそうろう)」のような候文、和漢混淆こんこう文で書かれています。現代の私たちには馴染みにくい文体ですが、当時の人々にとっても馴染めるものだったとはいえないようです。明治維新後、身分制度の解体とともに伝達対象の範囲が拡大します。その結果、知識・情報を多くの人々に理解させるという観点から文体が変化します。その結果、江戸時代の文書よりも、明治以降の文書の文体が馴染みやすくなります。さらに「日本国憲法」作成を機に、民主化推進のために公の文書が読みやすい口語文体に代わります。文書館に保存されている文書から、その経緯の一端を知ることができます。

 昭和21(1946)年4月17日に口語文体の憲法改正草案が発表されます。その翌日に政府内で「今後文書及び法令の文体用語等については発表された憲法改正草案例にならい平易化に努めること」が決定、2日後には新潟県知事宛「文体等に関するけん依命いめい通牒つうちょう」が出されます。通牒は、「今後の文書作成や法令制定に際しては憲法草案や憲法草案の文体の形式を参考に平易化に務めることと、市町村についても今後必ずこのように実行するよう指示すること」と記しています。これを受けた新潟県は、「新潟県報」第34号に、「各部長、各課長、市町村長、各庁長」宛の「漢字+ひらがな」の口語文体の通牒(官第90号4月30日付)を掲載しました。ちなみに第34号掲載の他の法令等は、この通牒以外は「漢字+カタカナ」の文語文体のままです。昭和21年度末まで「漢字+カタカナ」の文語文体が「新潟県報」に散見されます。県の実態については、昭和27年3月作成した『用字用語便覧』や同年10月刊行の『公用文作成の基準』の序文等を読むと、「やさしくわかりやすい公用文が行政の民主化の第一歩であるとの考え」のもとで文体改善に取り組むもののそれがなかなか容易ではなかったことが読みとれます。

 文体に注目したとき、文書館に保存されている江戸、明治、大正、昭和、平成の各時代の文書は、為政者が文書の相手方をどのように想定していたかを私たちに教えてくれる存在となります。

次官会議決定(昭和21年4月18日)

新潟県知事宛の依命通牒(昭和21年4月19日)

【次官会議決定(昭和21年4月18日)】【新潟県知事宛の依命通牒(昭和21年4月19日)】
2点とも「公用文改善関係書類」(請求記号H94総文1)所収。