[第71話]夢は一攫千金だけじゃない 初の県営宝くじ発行記

 昭和20年(1945)8月の空襲で長岡市は1万棟以上の家屋を焼失しましたが、財政難などでなかなか復興が進みませんでした。そこで、翌年秋の法令改正で従来国のみができた宝くじの発行を都道府県でも行えるようになったことを受け、新潟県でも県営宝くじを発行して長岡市の復興資金にてることにしました。当館で保存されている県公文書から、初の県営宝くじ発行の様子を見てみましょう。

 昭和22年(1947)2月に、1枚10 円(注)で売り出された「長岡復興たからくじ」は、できるだけ当たりくじを多くしようと、1等1万円から5等5円までの賞金とは別に、賞品の当たりを抽選するという2本立て方式を採用しました。賞品には、1等きり箪笥だんす、2等自転車、3等ラジオのほか、4等以下に革短靴、手ぬぐい、石鹸せっけんと日常品を用意し、さらに、宝くじ販売時には、くじ1枚毎にマッチを1箱景品として付けるなどして、終戦直後の物資不足の時代、お金よりも物で人々の関心を集めていきます。

 また、迅速な長岡市の復興のため、が非でも宝くじを完売したかった県は、発行機関である銀行などと念入りに打ち合わせを行い、県内全市町村に売りうりさばき枚数の割当てを行ったほか、ポスターやチラシ、回覧板などで、全県民に宝くじの購入をお願いします。知事名で出された隣組回覧板文書では、同じ労苦を共にしてきた同胞、県民が家や家財を失って苦労していると窮状きゅうじょうを述べたうえ、「一世帯四枚・・・これだけは何処どこの御家庭でも、是非ともお買い求めくださるようひとへにお願い致します。」と訴えました。

 県の必死な訴えは県民の愛郷心に火を付けることとなり、賞品作戦と相俟あいまって、新潟県初の県営宝くじは発行した150万枚を完売し、1500万円の売上げから賞金賞品代、政府納付金、発行費用を差し引いた収益金568万円を、長岡市の復興住宅の建設に充てることができました。

 その後、宝くじの発行形態は県営から地方自治宝くじへと変わっていきますが、平成17年(2005)、前年に起きた中越大震災の復興のため、全国自治体の協力を受けた「新潟県中越大震災復興宝くじ」が発行されます。そして、収益金が再び長岡市などの復興のために役立てられることになります。

(注)当時の物価:ビール6円、ラーメン20円、公務員平均給与540円など

昭和21年度県会定例会関係12月雑 長岡復興富籤(宝籤)発行打合記録
【昭和21年度県会定例会関係12月雑 長岡復興富籤(宝籤)発行打合記録】(請求記号H92総財515)

昭和30年度宝くじ関係書類(第1回~第5回)長岡復興宝籤チラシ
【昭和30年度宝くじ関係書類(第1回~第5回)長岡復興宝籤チラシ】(請求記号H93総地104)