[第28話]黒姫神社の綾子舞
綾子舞は柏崎女谷の下野・高原田に伝承されてきた民俗芸能で、中世の風流の名残と初期女歌舞伎の形態を残し、踊り・囃子舞・狂言から構成されています。
特にユライと呼ぶ赤い布を頭に付けた少女たちが優雅に舞う姿は綾子舞の見所で、出雲の阿国が女歌舞伎に取り入れたと言われる幼女たちの踊り、「ややこ踊」を思わせます。「ややこ踊」は綾子舞という名称の語源ではないかとも考えられています。
女歌舞伎は近世初期に流行した女性による歌舞伎で、京都で盛況した阿国歌舞伎をまねて演じられるようになり、やがて各地に伝播した芸能です。女性の舞踊を主な演目とし、これに男性による猿楽・狂言などの寸劇がつきました。江戸時代に入った寛永6年(1629)、風俗を乱すという理由で禁止されます。現在歌舞伎と言えば、女歌舞伎が禁止されたのちに発達した、男性のみで演じる野郎歌舞伎が連想されますが、綾子舞はそれ以前の姿を今に伝える貴重な芸能と言えるでしょう。
綾子舞という名前の由来は、先に述べた「ややこ踊」(「ややこ」→「あやこ」)の他に、「阿古屋舞」(阿古屋は浄瑠璃・歌舞伎で平景清の愛人とされる清水坂の遊女。また義太夫の曲名)が訛ったとも考えられています。
伝承では、永正6年(1509)、国守上杉房能が家臣の長尾為景に攻められ松之山天水越で自刃した後、元々白拍子であった妻綾子をはじめとする女性達が、加納山城主毛利家の憐れみを受けてこの地に隠れ住んだ事から伝わったと言われます。
国の重要無形民俗文化財に指定されており、現在では柏崎市女谷の黒姫神社で9月第2日曜日に開催される秋季例祭で上演される他、各地での講演活動も行われています。
当館に所蔵されている『綾子舞見聞記』や『新潟県史資料編24民俗・文化財編3』等には、演目を含め綾子舞について上記を含めた詳しい記述が掲載されています。現在も伝承される民俗文化財について、資料からも探訪してみませんか。
【綾子舞】
【綾子舞見聞記】(請求記号E9111-640)