[第12話]沿線住民の夢!戦前の鉄道建設物語

 日本の鉄道は、明治5年(1872)に新橋・横浜間が開通して以来、全国へと拡大していきましたが、明治43年(1910)に簡単な規格で建設できる軽便鉄道法けいべんてつどうほうが公布されると、更に鉄道建設の動きが活発化します。新潟県においても、明治後期から昭和初期にかけて、多くの鉄道が出願されました。しかし、実際に建設された鉄道はごくわずかであり、ほとんどは計画で終わったか、出願しても却下されたのが現実であり、当時の県庁で作成された公文書でもその概要を確認することができます。

鉄道関係の公文書の画像
【鉄道関係の公文書】

 その中の一つ、両新鉄道は新潟・新発田間を直接結ぶ鉄道として大正2年(1913)に申請され、認可されました。申請時に県知事あてに出された上願書を見ると、この鉄道の必要性が切々と述べれられています。しかし、結局この鉄道は建設されないまま、昭和5年(1930)に免許を返納することになります。このことについては、資金面や技術面のほか、新発田の街中を路面電車として敷設しようとしたり、新潟港付近へ路線変更しようとしたことが、最終的には失敗に終わったことも大きな理由と考えられます。

 結局、新潟・新発田間を結ぶ鉄道として白新線が開通したのは昭和30年代のことですが、両新鉄道に関する公文書を読むと、鉄道を建設しようとした人々の努力や沿線住民の期待が伝わってきます。

申請時の上願書の画像
新発田地内の路線予定図の画像

【申請時の上願書と新発田地内の路線予定図】(請求記号H94土道建17)