明治時代の政治家で、自由党の指導者として知られる星亨(ほしとおる)(1850~1901)は、現在の西大畑公園(新潟市中央区)にあった新潟監獄署で半年間服役していたことがあります。
明治17年(1884)9月20、21日、新潟の自由党員が中心となり、新潟区西堀通の不動院で北陸七州懇親会が開催されました。政府による弾圧によって下火となっていた自由党の勢力を挽回するために企画されたこの懇親会には、北陸地方をはじめとする新潟近県のほか、自由党の有力者星亨も東京から参加しました。
懇親会2日目の9月21日に不動院で開かれた政談演説会には、1,000人を超える聴衆が集まりました。星亨も「政治の限界」と題して演説を行いましたが、このとき監視のため臨席していた新潟警察署長の命令で演説は突如中止、解散となりました。22日夜、新発田の懇親会場にいた星のもとに巡査が訪れ、星を拘引し、翌日新潟へ護送しました。21日の演説が官吏侮辱罪にあたるとして起訴収監されたのです。10月6日に責付(せきふ)(※)で拘留を解かれた星は、上大川前通(新潟市中央区)にあった小甚(こじん)旅館に滞在しながら裁判の行方を見守っていましたが、12月18日、新潟軽罪裁判所にて、星に軽禁錮6か月罰金40円の判決が下りました。星は一度上訴しましたが、翌年4月に上訴を取り下げ、6か月間新潟監獄署に服役することになりました。
明治18年10月10日、星亨は満期出獄しました。そのときの様子を、蒲原郡福岡新田(現三条市)出身の民権家西潟為蔵(にしかたためぞう)(1845~1924)は次のように記録しています。
- 当日午前5時、私たち自由党員は監獄署門前に整列して星亨の出監を待った。星が囚衣を脱いで門を出るまで、間断なく煙火を打ち上げ、祝意を表した。それから星は人力車に乗り、小甚旅館に向かった。出迎えに駆け付けた有志者の人力車数百輌が連なり、その音が市中を震動させた。(『雪月花―西潟為蔵回顧録―』 明治18年10月9日付の記事だが10月10日の誤り)
出獄後に星亨が向かった小甚旅館は上大川前通5番町にあり、自由党員の定宿でした。星はその後、衆議院議長、逓信大臣などを歴任し国家のために尽くしましたが、明治34年6月21日に暗殺されました。星の死後、門下生の一人であった渡辺勘十郎(1864~1926)が、師の遺影を後世に残すため、星やその家族、親交のあった人々等を載せた写真帖を作成しました。そのうちの一冊が明治40年、西潟為蔵から星亨ゆかりの宿舎である小甚旅館に贈られています。小甚旅館(割烹小甚)は平成17年(2005)、惜しまれつつも閉店しましたが、星亨の写真帖をはじめ、小甚旅館旧蔵文書は現在新潟県立文書館に寄贈されており、閲覧することができます。
※責付…旧刑事訴訟法で、裁判所が被告人を親族などに預け、拘留の執行を停止した制度。
明治17年9月27日付星亨書状。新潟監獄署に護送された星亨が小甚旅館滞在中の井上米次郎、西潟為蔵に『論語集注』の差入れを依頼している。(E1415-3784)
小甚旅館に贈られた星亨写真帖(表紙裏)。西潟為蔵が寄贈の経緯を記す。(E2212-2-4)