[第27話]出るか!?宝の水・草生水 越後のオイルラッシュ
越後は古くから石油の産地として有名で、日本有数の産出量を誇りますが、その歴史は古代にまでさかのぼります。『日本書紀』には天智天皇の時代、西暦668年に、越の国から燃土(もゆるつち)と燃水(もゆるみず)が献上されたと記されています。燃土とは天然のアスファルトを指し、燃水は石油を指しますが、この燃水、つまり石油は「くそうず」と呼ばれ、「臭い水」から転じて「草生水」「草水」「草生津」などの当て字で書かれ、県内にはその地名が今も残っているところがたくさんあります。また、このように各地で湧きだした草生水は、江戸時代に入ると、その産出量の多さから税の対象となり、運上金(雑税の一種)が課せられました。
資料から、機織村(旧板倉町)近隣の地域は、井戸の試掘のことを問堀(といぼり)と呼んでいたことがわかります。そして、たくさんの人々が問堀の許可を求めたために、採掘エリアを巡って争いが絶えなかったことがうかがえます。
当館には草生水や石油に関する資料が他にもたくさんありますが、どの資料からも人々が土の奥深くに眠る宝と夢を求めていたことを感じずにはいられません。
【為取替申内済熟談証文之事(草水油井戸稼)】
(請求記号E9801-375-1)
【相渡し申一札之事(草水油試掘取扱)】
(請求記号E9801-375-2)