[第100話]新潟県史編さん収集の中世文書

 立県100年を記念して昭和51年(1976)4月に始まった新潟県史編さん事業は、通史編9巻・資料編24巻・別編3巻と概説『新潟県のあゆみ』を刊行し、平成3年(1991)3月に終了しました。もう30年余になります。県史編さんのための資料調査は県内外2859か所に及び、必要な資料は主として写真撮影で収集し、その数は35ミリフィルム約13000本・マイクロフィルム約2700本・4×5判フィルム約4000枚・ブローニー判フィルム約3500枚に上ります。当文書館はこれら県史収集資料を保存するとともに、所蔵者の了解を得た資料を広く公開し活用することが設立の目的の一つです。

 県史収集資料の中で、時代的制約もあって残っている数が少ない中世文書は、判明する新潟県に関する資料のほぼ全ての4647点(県史編さん事業終了後の採訪も含む)を調査し、ほとんどが写真撮影されており当館で見ることができます。写真とはいえ鎌倉幕府の下知状や室町将軍御教書さらには上杉謙信や織田信長・豊臣秀吉の書状など歴史的な文書を目にすることが可能です。

 しかしながら中世文書を読み解くのは様式や書体・用語など難しい点が多いのですが、中世末に作成された検地帳は形態や書式が統一的であり、記載内容は田畑の地名、年貢の納入高、名請人(耕地の所持者)の名前などですから、長文を読むより取り掛かりやすいといえます。また地名などから中世の村の様子を窺い知ることもできます。

 例えば加茂市中心地域にあたる文禄4年(1595)の「越後国蒲原郡賀茂村御検地帳」(県史整理番号4393新発田市立図書館所蔵)を開いてみると“水入”“水出し”という地名が目に付きます。一方で“江そい(添)”や“江またき(跨)”、“せきつめ(堰詰)”“せきめん(堰免)”の地字も見え、加茂川が貫流するこの地域では、江=水路や堰を作って川の氾濫原を耕地化していたと推測されます。“めん”は免税地のことで“せきめん”は堰の維持管理のために年貢を免じていた土地です。また“いやしきのまえ”(居屋敷の前)や、今も地名として残る“おかの町”(岡ノ町)があり、当時住居が並ぶ町が形作られていたことがわかります。

 加茂は古代の青海(おうみ)郷に比定され、平安時代には京都の賀茂神社(上賀茂・下鴨神社)の神領地であり、式内社(注)とされる青海神社には賀茂両社が合祀されていますが、名請人には神主・大神主・はふり(祝:神職のこと)・宮坊など神社に関係した人達が多く見えます。さらに、すわ(諏訪)田・きふね(貴船)田・きおん(祇園)田・大日田・やくし堂めん・善明寺といった地名から様々な寺社堂があって、神田・鐘つきめん・ゆたて(湯立)めん・社領めん・とうみゃう(燈明)田・宮僧めん・ふつく(仏具)めんなど社寺の費用や宗教行事に充てられた土地があり、この地域がこれら社寺のいわゆる門前として開けていたことが推測されます。このほか、“鬼蔵”や“たたりでん”はどんな由来のある場所なのか、名請人の“たくみ”は工・匠と思われますが何をしていた人なのかなど想像を掻き立てられます。

 あなたも中世文書の世界にハマってみませんか。

注意:平安中期の法典である延喜式(927年完成)の神名帳に記載された神社。

中世文書の写真収蔵状況

中世文書の写真収蔵状況

越後国蒲原郡賀茂村御検地帳

越後国蒲原郡賀茂村御検地帳(部分)

県史整理番号4393:新発田市立図書館所蔵