〔第46回解読文・解説〕
解読文
解説
今回のテキストは、新潟奉行所が村松藩に対して新潟への援兵派遣を要請したことに関わって、安政6年(1859)年5月、新津宿の問屋平蔵が、近隣農民による人馬の援助(助郷)を願い出たものです。
新津町は、北国街道の脇街道継所(宿場)として、公用人馬継ぎ立てにあたる義務がありました。継ぎ立ての業務を取り扱うのが「問屋」で、大規模な通行がある場合、近隣農民による人馬の援助を受けますが、これを「助郷」といいました。助郷は、近隣農民の義務とされました。
大規模な通行としては、幕府の巡検使や自他領の領主、それに遊行上人等の一行の通行がありますが、今回の村松藩兵の新潟出兵も、「重キ通行」であるから、村々から助郷を差出してもらえるよう願い出たわけです。
安政5年、幕府はアメリカ、イギリス、ロシア、オランダ、フランスと修好通商条約を締結し、神奈川・函館・長崎・新潟・兵庫の開港を約束しました。安政6年4月には、ロシア船ジキット号とオランダ船バーリー号があいついで来航し、測量や新潟市中の視察を行いました。
新潟奉行による村松藩出兵要請は、このような時代背景の中で行われたものでした。
資料請求番号:E9103-125-4