〔第27回解読文・解説〕

解読文

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解説

今回のテキストは、北越戊辰戦争に関わる文書です。小栗山村は、長岡の隣、現在の見附市域に入ります。もと新発田藩領で、寛永7年(1630)からはその分家(池之端陣屋)の知行地となっています。

長岡城の落城(慶応4年〈1868〉5月19日)後、見附市域は激戦の地となります。小栗山一帯では、5月26日未明から丸一日、激しい戦闘が行われました。この日の戦闘を目の当りにした東新潟村組頭の富次郎は、「今日小栗山切通しにて合戦…明け六つより暮れ六つ迄砲撃声止まざるなし、当村へ大小玉飛参り、中々もって宅に居ること相成らず…さてさて今日之様子は狼狽筆紙に尽し難く、恐怖まかりあり、一同放心同様」であったと記しています。

願書では、農具が焼失したと書いていますが、小栗山村はこの戦闘によって村方の8割が焼失したといわれています。また、この年は、天候不順で、戦闘の直前には大雨のため信濃川などの河川が氾濫し、見附から長岡まで水浸しになっています。戦場となった村の復興には多くの苦労があったはずで、忘れられた「米百俵」の物語は、県内各地で見られたものと推測されます。

資料請求番号:E9916-113