〔第14回解読文・解説〕

解読文

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解説

この書状は、閏9月とあることから天保14年(1843)のものと特定されます。つまり、第9回で扱った離縁状の1年前のものです。

中身は、当時江戸徳本寺にあった義せん(常野の実弟)が、常野をめぐる一大事を国元の林泉寺に書き送ったものです。

夫井沢博輔の浪人により流浪の身となった博輔・常野(おきん)夫婦は、半左衛門(詳細不明)という男とともに新宿で飯屋を始めます。しかし、飯屋の経営はうまくいかず、3人は乞食同然となります。助けを求められた教証寺納所大恵は随分気の毒がり、常野を伴って常野の弟義せんのもとにやって来ますが、義せんは、とても江戸にいれる状況ではないから姉を故郷に帰らせようとします。しかし、常野を金づると考えていた半左衛門は、容易に常野を手放そうとしません。常野に去られてしまったら、林泉寺や親類から金をゆすり取れなくなってしまうからです。

江戸に出てくるときも悪い男に騙されましたが、今回もまたとんでもない男にひっかかったものです。気の毒に思う人もいたようですが、身内はあきれ果てるばかりだったようです。義せんも姉にはほとほとあきれた様子で、「能々の馬鹿者」と吐き捨てています。また、姉はあってなきがごとき者と覚悟すべきで、外聞が悪いのも今に始まったことではないから、援助はすべきでないと実家に進言しています。

この義せんの書状に対する林泉寺の返事(控)が残されていますが、その中で林泉寺も、気の毒ではあるが見捨てるほかはないと記しています。

資料請求番号:E9806-2042