〔第12回解読文・解説〕
解読文
解説
天保10年(1839)10月、石神村林泉寺の娘常野が江戸へ出たときの状況を伝える興味深い書状です。
高田へ眼の治療に出たときに知り合った子安村(現・上越市子安)慈円寺の舎弟と同道して江戸へ向かったこと、この舎弟に結婚を迫られるなどからかわれたりもしたが、女一人で頼る人もいないため、仕方なく同道したこと、舎弟の親類を訪ねるものの立腹の様子で奉公に出すと言われる始末だったこと、やむを得ず縁正寺を頼るが、ここでも渋られ、結局、鉄砲洲の叔母おみつのもとにたどり着いたこと、これらが、前段から読み取れます。
後段では、常野と同道した者は「不行跡」の者であるから注意すべき旨が書かれています。男は、高田出立の折に、常野の衣類を質に入れさせていますが、恐らくは金を着服していたものと推測されます。また、江戸から常野の親類に対し、衣類を請け出し江戸へ送るよう連絡を取り、衣類などを奪おうとしていたことも想像されます。文七・おみつは、常野所持品及び質入品を送れという書状が舎弟から送られてくるはずだが、決して騙されるなと注意を促しています。男は慈円寺舎弟と名乗ったようですが、本当かどうか疑わしいところでもあります。
さて、江戸へ出た常野ですが、これから彼女に何が待ち受けているのでしょうか。常野関係の書状が他にも残されていますので、次回以降、書状を読む練習を兼ねて、常野のその後をもう少し追いかけてみたいと思います。
資料請求番号:E9806-1697