〔第11回解読文・解説〕
解読文
解説
前回、土尻村祐助の妹みよをめぐる庄屋(長谷川)源吉の訴状を読みましたが、今回のテキストは、この件の続報です。
前回、みよは「誘引出」されたのではなく、自分で飛び出した可能性のあること、兵右衛門と弥左衛門がみよを「押隠」したのではなく、逃げてきたみよを匿ってやったのではないかということを推測しておきましたが、今回の詫状はこのあたりを裏付けていると思われます。
兵右衛門・弥左衛門・親類市十郎らは、みよが離縁の上、遠方に奉公にでたいと誼の弥左衛門のところに掛け込んできたので、見放すわけに行かず匿ったのだと主張しています。訴人の源吉の主張と食い違っていますが、おそらくこちらが事実なのでしょう。
必死に匿う弥左衛門たちでしたが、お役所に訴えられたことには耐えられず、詫状をしたため訴状の取下げを願うことになったのです。
長谷川家文書に残される寛政10年の宗門帳の末尾には、「一祐助妹みよ義当正月中榊原式部大輔様御領分原野町村牛兵衛子久蔵方へ縁付参申候」と記された上に、紙が張られ、庄屋源吉の印が2つ押されています。みよの結婚は無かったことにされたことが分かります。
この後、みよは文化3年の宗門帳まで祐助妹として載せられています(文化3年当時31歳)が、翌年から名前が見えなくなります。どこかに縁付いたのか、死亡したものか記録が残されていないため、今のところ分かりません。
さて、離縁して遠方での奉公を望んだものの、みよはそれを果たすことができませんでした。しかし、離縁後、実際に江戸に出た事例を見出すことができます。次回は、再び石神村林泉寺娘常野が登場します。
【資料請求番号:F23-1652-4】