ちいちゃんが教えてくれたこと

第39回(令和元年度)

全国高校生読書体験記コンクール県入選

萩原ななみさん(新潟県立高田北城高等学校)

数年前の夏休み、暇になった私はテレビをつけた。「今日で終争七十年です、私達は戦争を忘れてはいけません。」画面の向こうで誰かがそんなことを言った。チャンネルを変えても、どこも「戦争」の話題でいっぱいだった。興味ない、つまんない。当時の私は、心の中でそう思い、テレビを消した。私は今でもこの出来事をはっきりと覚えている。

「かげおくり」という遊びを知っているだろうか。文字通り、空に自分の影を送る遊びのことだ。天気の良い日に、地面にうつる自分の影をまばたきせずに十秒間、じいっと見る。そして、ぱっと空に目をやると、見ていた自分の影が白くなって空にうつる。私はこの遊びが嫌いだ。ドライアイだから、というのもあるけれど、何より不気味だと思うからだ。まるで、影ではなく自分の魂を空に送っているみたいだ。そのうえ、送った影は数秒ですうっと空にのみこまれてしまう。送った影の数だけ自分も死んでしまったのではないか。そんなことをどうしても考えてしまった。だから「ちいちゃんのかげおくり」に「かげおくり」がでてきたことにとてもびっくりした。

「ちいちゃんのかげおくり」は、小学四年生の教科書に採用されている。第二次世界大戦中の日本が舞台で、主人公はちいちゃんという小さな女の子。お父さんが戦地へ行く前日、墓参りの帰り道に、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そしてちいちゃんの四人で手をつないで「かげおくり」をする。ちいちゃんは「かげおくり」を好きになる。けれど、戦争が激しくなるにつれて、町は焼かれ、空は厚い煙でおおわれる。「かげおくり」はできなくなってしまった。

この本を最初に読んだ時、私は何の感情もいだくことができなかった。もちろん、怖いとか、かわいそうという言葉は浮かんだけれど、どれも心の底から出たものではなかった。多分、自分には全く関係のないことだ思ったからだ。戦争は自分が生まれる何十年も前に終わっていたし、原子爆弾が新潟に落とされた訳でもない。そもそも、なぜ戦争が起きたのかさえこの時は知らなかったのだ。私は戦争を長い歴史の中での出来事の一つとしてか捉えることができなかった。

中学に入って、本格的に歴史を習うようになった。最初は暗記するだけのつまらない教科だと思っていたけれど、授業が進むにつれてそれが違うと分かった。どんな戦や事件にも起こった理由があったことを知ったのだ。

私は歴史を好きになる。中三になって、第一次、第二次世界大戦について学んだ。二度の大きな戦争にもやはり起こった理由があった。様々な出来事が絡み合って起きた悲惨だった。この時、私は正しい知識を得て、戦争のことをすべて理解したような気でいた。知れば知るほど歴史は面白いと思っていた。けれど今思えばそれは違っていたし、やっぱりどこかで自分と戦争とを切り離して考えていたのだと思う。

そして今年の夏休み。部屋のそうじをしている時に、小学校の教科書が出てきた。もう一度読んでみよう、そう思って私は小学四年生の国語の教科書「ちいちゃんのかげおくり」のページを開いた。読み終えた後、私は泣いていた。ただ悲しかった。「ちいちゃんのかげおくり」には直接、戦争を否定する言葉は書かれていない、けれど、戦争の恐しさ、家族と離れるさみしさ、つらさがひしひしと伝わってくる。私の興味がない、という一言で片付けていい問題ではない。自分とは関係ないと切り捨てて良い問題ではない。小四の時、初めて読んだ時とは全く違う感想をもった。心の底から戦争は恐しいと思えた。

読んだ後、気分をはらすために外へ出た。空はよく晴れていた。ちいちゃんは空襲で家族と離れ離れになった後、何日もたった一人で暗い防空ごうの中で過ごす。そして最後に、またいつか四人で「かげおくり」をしたいと願って影を送り、その魂はすうと空に消えていく。私も影を送ってみた。少しだけちいちゃんの気持ちが分かった気がした。

戦争は恐しい。そんな当たり前のことを「ちいちゃんのかげおくり」に教えてもらった。本は私にたくさんのことを教えてくれる。これからも色々な本を読みたいと思う。

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