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新潟県立文書館

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2017/10/04

第3回教養講座の様子を紹介します

| by 文書館

 新潟県立文書館では、平成29年9月6日(水)に、第3回歴史講座「越後の古代寺院を探る -「乙宝寺」と「国上寺」を中心に-」を開催しました。

 

 講座の内容を概略で紹介します。

越後で最も古いとされている「乙宝寺」(胎内市)と「国上寺」(燕市)。その創建やその後の歴史についてはあいまい部分が少なくありません。
 「乙宝寺」の創建は、境内にある六角堂の
(とう)(しん)()(塔の中心柱の礎石)から奈良時代初期には建てられたことがわかります。この時期は越前国足羽(あすは)郷(福井県福井市)の人々が移住して来たことにより足羽郷と呼ばれ、塔心礎の様式が足羽郷にあった寺院のものと同じであることから、その有力者が関わったと考えられます。

 「乙宝寺」は創建当初、「乙寺(きのとでら)」と呼ばれていました。鎌倉時代に上越市にある「(さる)供養寺(くようじ)」と「乙宝寺」(胎内市の「乙宝寺」とは別)が幕府軍に攻められ滅びました。そして、両寺との関係のある者が「乙寺」に逃げ込み、鎌倉幕府が滅亡した後、「乙寺」は「乙宝寺」と呼称することになりました。

 「国上寺」の創建は、古くから「行者(ぎょうじゃ)(仏道と俢験道を修めた人など)」がしたとされています。奈良時代、山は俗界と離れた神聖なところとされていました。寺院は国上山の中腹にあ、平野部にある村落に建立された寺院とは異なっています。そこから湧き出清らかな水は仏への毎日の供養に欠かせないものとなりました。

 そのためか、寺名も平安時代の説話集の中では「越後国古志郡国上山」と紹介されて、初め「国上寺」は「()上山(がみやま)」と呼ばれていました。その後、鎌倉時代までには寺院としての体裁を整え、現在の「国上寺」となっていったようです。
 数少ない資料をもとに探っていくと、仏教寺院の存在がその地域の歴史に少なからず影響を与えていたことが見えてきます。


◎参加者の感想の一部を紹介します。

・乙宝寺と国上寺は有名なので楽しみにしてきました。少ない資料から推察していくおもしろみがありました。

・大変興味深く勉強になった。子供の頃、家族と乙宝寺の話をしたことがあり、今回の講座は関心がありました。                      

・謎が多い国上寺・乙宝寺に関して歴史的な概略が少し理解できました。

  
                           ≪講座の様子

 
新潟県寺院明細帳(乙宝寺)(39-2-204)】【新潟県寺院明細帳(国上寺)(44-2-12)】


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