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[第67話]赤塚宿の継立(つぎたて)出入り一件

 

 近世の宿駅制度は、幕府や大名の公用の出張役人、書状・文書類、物品を迅速(じんそく)、安全、確実に送るために整備されました。往来の各所にそのための施設や組織を設けました。休泊施設の設置と輸送人馬の供給を義務づけられた村が宿場です。輸送は必ず隣の宿場まで送り、人も物も全部そこで次の宿場に引き継ぎます。それで継ぎ送りと言います。「継ぎ」は「次」と同じです。東海道五拾三次は、53の宿場を次々と継ぎました。

 庶民の旅行は、その施設や機能を利用していたことになります。幕末には庶民の旅行が盛んとなり、本来の意味や機能が隠れてしまうほどになりました。

 赤塚宿(新潟市)は、北国街道(北陸道)の宿場のひとつです。赤塚宿は、(とう)(じま)宿(じゅく)・巻宿(共に旧巻町)・新潟宿の3か宿に継ぎ送りました。宿場間の距離は、稲島宿まで1里8丁(約4.8km)、巻宿まで2里(約7.8km)、新潟宿まで5里8丁(約20.5km)です。赤塚宿・新潟宿間が特に長いです。これは近世初期、赤塚・新潟の間にあった村が、海岸沿いの四ツ郷屋と五十嵐浜村の2か漁村だけだったことによります。海岸から離れた東の平野部には村々はありませんでした。そのため、積雪時、四ツ郷屋と五十嵐浜の両村が、臨時に継ぎ送りを命じられました。この初期のすがたがずっと続きました。平野部に次々と村々が成立しても、冬季間の積雪時は雪の少ない海岸沿いの両村が、従来どおり継ぎ送りを命じられました。矛盾する冬場の継ぎ立てのすがたを宿場でない、五十嵐浜村若杉家文書によりみたいと思います。

 公用の通行量も次第に増えたようです。寛政2年(1790)冬、五十嵐浜村が継ぎ送りを(こば)みます。理由は冬至を継ぎ送り開始日にして欲しいというもので、その年は冬至まで拒んで、冬至後継ぎ送りをしました。

 翌年の冬至は遅いです。五十嵐浜のはっきりしない対応を不安に思った赤塚村は、11月に入ると、石瀬(いしぜ)代官所へ訴え出ます。石瀬代官所は五十嵐浜村を支配する長岡藩曽根代官所へ解決を依頼します。

 五十嵐浜村の要求は、開始日だけでなく、新潟宿同様の人馬の使い方にも及びました。赤塚宿では農民や農耕馬で、専門の人足と馬がいる新潟とは違うので納得しますが、結局、赤塚が譲歩して漁労多忙や人・駕籠不足の場合、四ツ郷屋・五十嵐浜の両村を支援することで決着します。



北国街道(赤塚~五十嵐) 文政7年「越後輿地全図(三)」【請求記号 E9312-1-3-3】


赤塚出入一件【請求記号 E1313-13・14】