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[第16話]佐渡鉱山のお雇い外国人

 
 江戸幕府から明治政府へと政権が移り変わっていくなか、幕府財政を支えた佐渡鉱山は、金銀など貨幣素材を生み出すドル箱と目され、明治2年(1869)いち早く官営となって西洋の新しい鉱山技術の導入による生産の拡大が目指されました。
 こうした時代背景のもと、佐渡には明治3年から14年(1881)にかけて、7人のお雇い外国人が来島して鉱山の改革に取り組んでいます。当館が所蔵する佐渡郡役所文書には、これらお雇い外国人に関する資料が含まれています。


【明治三年管外諸掛合達書留】

【ジェームズ・スコット】(佐渡市所蔵)

 最初に佐渡鉱山に赴任したのは、E・H・M・ガワーとジェームズ・スコットでした(資料ではカワールとスコッチ)。ガワーは江戸幕府の依頼で幕末から北海道の茅沼炭鉱の開発を手がけて実績をあげており、その経験を買われて明治政府にも雇われた人物です。彼は鉱石の採掘・精錬の全般的な改革を任され、資料によれば月給は600ドル支給されました。600ドルを現在の貨幣価値に換算するのは難しいですが、600~1200万円ほどと思われます。この時期のお雇い外国人全体の中でも高待遇であり、政府がいかに彼に期待していたかがわかります。
 しかし、案に相違してガワーは期待されていただけの成果をあげることができず、明治6年(1873)に3年間の雇用契約が切れて解雇されてしまいます。高級待遇ではあるものの、それに見合った成果があげられなければすぐにお払い箱になる、そこにお雇い外国人の悲しさと政府の非情さがうかがえます。
 一方、スコットは新型機械の据付や運転の指導などに取り組み、1年間の雇用契約期間を過ぎても引き続き雇用され、明治14年に佐渡を離れるまでの12年間にわたり佐渡鉱山で技術指導にあたりました。