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[第10話]新潟県、そして日本の近代医学発展の礎でもあった目薬

 

 近世、日本各地の寺院や有力者は、各種の漢方の煎じ薬、丸薬、膏薬を作って周辺の人々に分け与え、地域医療に貢献していました。そんな中で、三都に出店、取次店を置き、北は出羽・陸奥から西は京・大坂、南は中国・四国・九州までを販路とした薬は、目薬「真珠散しんじゅさん」の他にないでしょう。

 【真珠散の看板】(燕市分水良寛史料館所蔵)


 目薬「真珠散」は、本当に真珠を主原料としています。現代でも目の栄養になるという健康保健食品などに牡蠣かきのエキスを使用していると銘打っているものがいくつかあります。
 竹山家家伝の目薬「真珠散」は、四代祐卜のとき、全国版へ大きく変化しました。販売方法は、地域の有力者を取次店として、そこを基点に販売する方法です。竹山家は年に1回くらい使用人を取次店へ派遣して、真珠散の「通帳かよいちょう」を基に代金の回収をします。「真珠散」が無くなれば、飛脚や船便で送付します。こんな至ってシンプルな方法で販路を拡大しました。四代祐卜は、販売のためいろいろな広告活動を積極的に行いました。
 また、四代祐卜は、「真珠散」の収益で文化活動に取り組むなど、その収益を充分に活用しました。梁川星巌やながわせいがん貫名海屋ぬきなかいおく(幕末の三筆)と師弟関係を結び、藤本鉄石ふじもとてっせき村山半牧むらやまはんぼく中西耕石なかにしこうせき等多くの文化人と交流しました。
 子弟の教育にも積極的でした。息子や娘婿の江戸、長崎への遊学や留学を惜しまずに支援しました。娘婿入澤恭平は、長崎留学後、越後最初の蘭方医学塾を開きます。恭平の弟池田謙斎並びに恭平の子息入澤達吉は、日本の近代医学の功績者です。四男竹山たむろは、新潟県の近代医学の基礎を築きます。彼らの活躍と業績の裏には、目薬「真珠散」の存在があったのです。(なお、各人の履歴などはインターネットでご覧ください。)


【真珠散効能書】(請求記号E9501-420-33)

 
【真珠散通帳の表紙(左)と内容(右)】(請求記号E9501-239-2)