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「心の音を聞く」

 
第30回(平成22年度)
全国高校生読書体験記コンクール入選
村山健太さん(私立北越高等学校)

うるさい。
そんな不満を感じたのは初めてのことではなく、むしろ毎日といってもいいほどのことだ。

私立北越高等学校

私立北越高等学校


僕の家はある高校のグラウンドの裏にあり、野球部がいつも練習をしていて、それが勉強などのやる気を削いでしまうのだ。主な原因は喧騒にある。だが、やり始める前にやる気が無くなるのはまだいい方だ。一番困るのは、何かをしている最中にそれをする気が無くなる時だ。これはとにかく気が滅入る。さらに、僕が落ち込んでいる時にもあの声が頭の中でよみがえって、一層暗い気分になってしまう。


僕にはそんなことがある度に思い出す作品がある。それは太宰治の「トカトントン」という題の短編だ。


話は、「拝啓。一つだけ教へて下さい。困っているのです。」という書き出しで、手紙の形で語られる。


主人公は兵役を終え郷里に帰還した男で、この男の話では、何か物事に取り組もうとする度に、どこからか「トカトントン」という金槌で釘を打つような音が聞こえてくるというのだ。そして、それを聞いてしまうと、その物事がばからしくなり、「虚無さえも打ち壊してしまう」ような空白に襲われるらしい。小説を書いていても、恋をしても、仕事をしていても「トカトントン」という音が聞こえてくる。あげくの果てには、自分は狂ってしまったと思い自殺を考えると、またもや例の音が聞こえてくるという。


時代は終戦直後で、僕が想像するには至らないかもしれないが、僕はこの男の境遇に自分を置き換えて考えてみた。しばらく考えてぞっとした。当然だ。何に対しても興味が持てないなんて、そんな人生にどんな価値があり、どんな幸せが待っているというのか。


人は、やる気を出す時に何かのきっかけを必要とすることがある。プロのスポーツマンたちも悪い展開やジンクスに対して、気分転換のために深呼吸や道具の交換をすると聞く。そうして、相手や環境に対する苦手意識を克服するのだ。防戦一方のチームが休憩を入れた後に、打って変って強くなるということは意外に多い。そういうことを考えると、強力な効果があるのかもしれない。


僕が思うに、この男はそれがマイナスの方向に働いているのではないだろうか。男が聞いているのは、おそらく本当の音ではない。「心の音」である。


これからこれをやろう、と思うと、無意識に「でも今日は○○があるな……」「これが終わったら○○もしないといけないな……」などと思ってしまい、それが心に現れ、やがては行動に現れる。この男の重大そうな悩みは案外、誰でも経験したことがあるだろう負のスパイラルなのではないだろうか。


僕たちはやる気を出すとき、または失うとき、どんな心の音を聞くだろう。それはこんな音だ、と具体的に表現することはできないかもしれないが、僕たちの心の中に確かに存在する。スポーツの試合の前やテストの前など、僕たちはそれを聞いているはずなのだ。


男は「自分はこの音のせいで身動きがとれないのです。どうか救けてください。」とこの手紙を郷土の某作家に出す。そしてその返事は、聖書に記されたキリストの言葉、「身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」というものだった。


この言葉だが、最初は全く意味が分からず、なぜこんな言葉が男を苦悩から救えるのかとずいぶん首を捻った。しかし、意味が知りたいと思い言葉を調べていくと、「身も心も地獄で捨て、真に苦悩する者を敬いなさい」というような意味であることが分かった。


僕には信仰が無いので宗教的なことは言えないが、この言葉を受けて考えるとこの男は「真に苦悩して」いないことになる。ならばそれは、世間体や自らへの言い訳を考えた結果である。いわば見せ掛けだ。この男に必要なのは自分の心の音に屈しないで、どんなに醜くても今に自分に向き合うことではないだろうか。そうすれば「真に苦悩」し、問題を解決できるだろう。


そしてこれは、この男だけに言えることではない。人は確かに常に悩みを持っているが、その中に偽物が混じっていることもある。そんな悩みの答えは、大抵すぐ近くにあるものだ。でもそれをやりたくない、考えたくないから逃げて、悩んだふりをしている。それでは駄目だ。自分に向き合える強さを、負の心の音に屈しない強さを手に入れ、本当に悩んだ先にこそ人生の幸福があるはずだ。僕も自分の「心の音」に耳をすましながら、人生を歩んでいきたいと思う。

 

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