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「生きる光」

 
第32回(平成24年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
伊藤万里菜子さん(新潟県立新潟高等学校)

「死」というもの。私がそれについて真剣に考えはじめたのは、去年、東日本大震災を福島で体験してからだ。

新潟県立新潟高等学校

新潟県立新潟高等学校


この本に登場する三人の少年、木山、河辺、山下は、「人の死ぬ瞬間が見てみたい。」という驚くべき好奇心の持ち主である。そんな彼らの夏は、ある独りの老人の最期を見るため観察をすることからはじまる。


観察する側、観察される側。そんな関係に変化があらわれたのは、おじいさんの家の周りに放置されていたゴミを木山たちが片づけようとしていた時だった。それから彼らは、おじいさんからたくさんのことを学び、体験していく。草取りを頑張った後のスイカの味。はじめて聞く花の名前。日本兵として戦い抜いた戦争の話。どれも新鮮で心に残るものばかりだった。ところが、夏の終わりとともにおじいさんとの別れがやってくる。合宿から帰ってきた三人がおじいさんの顔を見た瞬間感じとった「死」というもの。望んでいたことのはずだったのに、彼らの心には大きな悲しみがうずをまくだけであった。彼らと一緒に食べようと、ぶどうを洗って眠りについたおじいさん。何を思っていただろうか。彼らの土産話を楽しみにしながら、彼らがいなくて静かだった四日間がおわることをうれしく思いながら…だからおじいさんは、とても満足そうな表情をうかべていたのだろう。おじいさんにとって、木山たちとの出会いは、消えかけていた、「生きる」ということに対する光を、再び強めてくれたものだったのではないかと思う。


去年発生した未曾有の大地震、東日本大震災。私は生まれ育ったふるさとである福島で被災した。福島は、原発事故による放射能の影響で、家はあるのに帰ることの出来ない人が、今でも多くいる。私自身、新潟へ避難してきた一人である。この震災で私は、「死」というものを生まれてきてから一番近くに感じた。止まるどころか大きくなっていく揺れ、倒れた信号機により、ずっと鳴ったままの車のクラクション。今でも鮮明に思い出すことができる。おじいさんも戦争で体験したことは何十年たってもはっきりと覚えている。でもそれをあえて口に出さなかった。それを木山たちに話した時、河辺の言った一言、「そういうことは話しちゃったほうがいいんだよきっと」。私は胸のつかえが取れた気がした。おじいさんもきっと同じ気持ちだっただろう。そんな河辺のささいな言葉や、山下の不器用な優しさ、木山の少し考えすぎるところ。そしてその三人があつまることでできる、うるさくて、でも心地いい、そんな空間。そこにおじいさんはまた生きる光をもらい、自分の生きた証をあずけていたのだと思う。年の差はとても大きいけれど、関係は対等なところが素敵だと思った。


最近、仮設住宅での老人の孤独死が増加している。住みなれた土地を離れ、慣れ親しんだ家と別れ、新しい土地で新しい生活をはじめた一人暮らしの老人。周りの人たちが、生きる光を支えてあげなければその光は消えてしまうだろう。一年以上たった今だからこそサポートをゆるめるのではなく、より一層深くすることが大切なのだと思う。そしてそのサポートは大きなものでなくてよいのだということ。観察からはじまった木山たちのように、きっかけは何でもいいのだということ。それを私はこの本から学んだ。


これまで私は祖父母が苦手であった。昔の話ばかりするし、小さなことを説教するからだ、と思っていたが、実際はガンの手術をしてやつれていく祖母や、下半身マヒにより、前のように自由に動くことの出来なくなった祖父を見るのが辛くなったからなのかもしれない。祖父母に迫ってくる「死」というものをおそれ、見て見ぬふりをして逃げていたのかもしれない。そう思うようになった。震災直後、私は祖父母がとても心配で、母と一緒に信号が止まり、混雑している道路をなんとか通りぬけ、会いに行った。祖母は、そんな私に、「万里菜ちゃんたちがしっかり自立するまで死ねませんよ。」と笑いながら言ってくれた。私は涙が止まらなくなり、そして今まで距離をおいていたことを後悔した。自分が、木山たちのように、だれかの生きる光を、少しでも支えられていることがとてもうれしくとても感動した。これからは、たくさん話を聞いて、たくさん一緒に笑いたいと思った。そして、その場にいるだけで、誰かを笑顔に出来る人になろうと思う。一人でも多くの人の生きる光を支えられるように。

 

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