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「道化として生きる中で」

 
第33回(平成25年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
山田詩音さん(新潟県立新潟高等学校)

主人公と自分に、重なるところがいくつもある。私はそんなことを感じながらこの本を読んだ。

新潟県立新潟高等学校

新潟県立新潟高等学校


タイトルは『人間失格』。人を怖れ、人をあざむきながら生きたある男の話である。主人公は少年時代から、周囲の人間と自分の感覚のずれに不安を抱き、それゆえに人を笑わせて喜ばせるいわゆる「道化」としての生活を送ってゆく。しだいに酒に溺れるようになり、たくさんの女性と関わりを持ち、自殺を繰り返したり、薬物に手を出したりと、主人公は自分の体と心を弱らせていく。そして病院に収容され、自分は人間として失格だ、と考えるところで、この物語は幕を閉じる。


主人公は、最初から最後まで道化として生きた。人の本質が分らないため、何でもいいから人を笑わせていった。本当の事を言わず、演技をしながら人生を送ったのだ。


自分も同じである。中学校一年生の時から、浮かないように、浮かないように、と生活を送ってきた。くだらない、つまらないと思うことを言いまくり、人を笑わせてきた。要するに自分に嘘をついてきたのだ。自分の本当に考えている事は封じ込み、周囲の喜ぶことばかり垂れ流す。そうして得た周囲の笑いなどの反応が私に与えるのは、快感ではなく安心だった。よし、これでみんなになじむことができたぞ、と、安心感を得ながら、私は人と接してきた。


つまりは、私も人を怖れているのだ。人が怖いからこそ、人と自分に嘘をつく。本当の事を言ったら浮いてしまわないだろうか、嫌われてしまわないだろうか。そんな事を考えてしまうのだ。だから、自分を隠し、人となじんでゆくために、道化としての生活を送ってゆく。


しかし、私は心のどこかで、みんなの中にも周囲になじもうと自分を演じている人がいるのではないかと思うのだ。


もちろん、ありのままで生きている人もいるだろう。少しも自分のことを飾らずに、自然に毎日を楽しんでいる人もいる。ひょっとすると、そんな人だらけなのかもな、とも思う。


ただ、そうではない人もいると思うのだ。自分と同じく、浮いてしまわないようにと、友達にうわべだけの付き合いをしている人もどこかにいるはずなのである。


人の言った事、行った事はものすごいスピードで広まる。うわさや陰口は一瞬でたくさんの人達の中に染まっていく。みんなそれを求めているようなのだ。みんな、だれかのことを攻撃したがっているようなのだ。あちこちでいろんな人の悪口を耳にする。どんな時もそうだった。あの人のあの行いは間違っている。あの人があんな事を言ったなんて信じられない。自分が出来事に関わったかどうかは関係ない。本当か嘘かも実際どうでもいい。ただただ人を攻撃したいのだ。そんな社会の中で、びくびくしながら、周囲の顔色をうかがいながら生きているのが、自分だけとは考えにくいのである。


私は、だれかと真面目に話がしたい。本音をだれかに伝えたいという欲がある。同時に、人の本音を聞きたい。自分の考えを伝えて議論がしたい。私は、今回読んだ本の主人公のように弱い人間である。そういった弱さも含めて、自分の怒り、悲しみなど、たくさんの考えをだれかに伝えたい。そして、他の人がどう感じているか、何を考えているか知りたい。そんなやり取りの中で成長していきたい。自分を高めていきたいのである。


もしかしたら、すぐ近くにも自分の話したい事に真剣に向き合ってくれる人がいるかもしれない。自分の考えに共感してくれる人がいるかもしれない。その人を見ただけでは分からないけれど、自分と同じように人を怖れて道化のような生活を送っている人がいるかもしれないのだ。


これからは、できるだけたくさんの人と接して生きていきたい。人は、外見だけではその本質は分からない。自分のように飾って生きる人がいるかもしれないのだから。なるべくいろんな人と関わりながら生きていき、少しずつ自分の本音を話したい。そうして、考えや感情のやり取りのできる相手を探していきたい。


そして、だれかの意見や考えをばかにするのも絶対にしたくないと思う。問題なのは、その意見が間違っているかどうかではない。その人が自分で考えて生み出したひとつの結論であるということが重要なのだ。それにきちんと向き合ってこそ、自分の成長につながるはずである。


人は見かけでは分からない。だからこそ、人と接していくべきなのだ。自分の思い、他人の思い、それらをからませていきながら、自分自身をより深くしていく。そんな生き方がしたいと思った。

 

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