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「人生から私が得た強さ」

 
第35回(平成27年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
石井南さん(新潟県立新潟高等学校)

自分の信じていることが、それほど確かに思えなくなったときはすごく不安だ。主人公のアントニオは敬虔なキリスト教徒の母親の元で、農家か神父になるように言われて育ってきた。しかし、クランデラという、シャーマンのような仕事をする女性のウルティマや、無神論者の少年と関わっていくうちに、キリスト教以外のアニミズムといった価値観の方に傾倒していく。アントニオは何を信じるべきか、それが作品の主題だ。

新潟県立新潟高等学校

新潟県立新潟高等学校


アントニオは、生まれてからずっと、価値観のせめぎあいの中で育ってきた。父親は、放浪していくカウボーイになってほしいと考えており、母親は地に足をつけた農家か神父になってほしいと願ってきた。生活の仕方も違うし、かなり悩ましい希望を押し付けられている。


そんな折、ウルティマという老婆を自宅で養うことになる。ウルティマはアントニオが生まれたときの産婆で、土着のシャーマンでもある。魔女の術のような手法で、病気を治したり、おはらいをしたりする。キリスト教から見れば、邪道な宗教を信じているのだが、身近な人々の役に立っており、生活に密着した知恵を授けてくれる。


更に、ウルティマは、次々とアントニオの目の前で不思議なことを現実にしていく。例えば、悪魔に取りつかれた叔父を、不思議な方法で治したことなどだ。


ウルティマが起こす奇跡に驚かされる度に、アントニオの中のキリスト教がかすんでいってしまう。同時に、両親が自分に期待していることも、素直に受け入れられなくなっていく。信じていることが、どんどん不確かになっていくアントニオ。不安で心情が揺れ動く。


その後、ウルティマや友人の死を通じて、アントニオはキリスト教が無力だと気付いてしまう。一方でシャーマニズムに関しても、全てを受け入れることができない。アイデンティティを見失い、八方ふさがりのアントニオは、苦しんだ末にひとつの答えに至る。「風と大地、自由と定住、キリストの神と金色の魚、全部のいいところをとって、何か新しいものを作る。きっとそれが、ウルティマが言っていた、人生から強さを得る、ということだろう。」


自分を強く持ち、正しいと感じたことを信じるということ。自分が信じるものを作り出すということ。作品はここで終わっている。この続きがあるとしたら、アントニオは既成の信仰を選ぶのではなく、自分の中で二つの宗教を消化して、自分のアイデンティティを再構築していくのだろう。


私は三年半アメリカに住んでいたが、色々な価値観に触れることができた。日本にいたら考えもしないようなことを、価値観として問われる場が多々あった。その中で印象に残っている質問がある。「信じている神様もいないのに、何をもって正しいことや、良いことを判断するのか。」


この質問に即答できる日本人はどれだけいるのだろう。このとき、私は概ね次のように答えた。「何が正しいのか、何が間違っているのか、日本では親や学校が教えてくれる。」


そのときは混乱していて、そんな答えを返すのが精一杯だった。しかし、今思うと、もっと説明を加えればよかったと思う。例えば、物事を善と悪に二分しない寛容さがあり、人間関係を損なわずに問題解決する知恵を持っていることなど。


日本では宗教を前面に出して議論することはない。しかも、日本社会の中で普通に生活している内に、何となく共通の常識や社会通念のようなものを身に付けていく。家庭や学校教育が大きな役割を果たしているが、キリスト教のように絶対的なものが明文化されている訳ではない。したがって、善悪の拠り所を問われれば、アントニオ以上の戸惑いを、多くの日本人が感じると思う。


また、このような考え方を、異文化の人々に理解してもらうのは難しい。明文化していないことが、「拠り所が無い」ということに結び付けられてしまうからだ。


しかし、私たちは少しも尻込みする必要は無い。異文化同士が出会うとき、常に対応する言葉や習慣があるわけでは無い。むしろ、そのことを丁寧に伝え合う努力が、始まったばかりと捉えるべきだと思う。ウルティマの言葉を借りるなら、このような努力を続けることにより、「人生から強さを得る」のではないだろうか。

 

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